『会いに行って 静流藤娘紀行』感想まとめ

笙野頼子『会いに行って 静流藤娘紀行』が6月16日刊行されました。
電子書籍は17日より配信しています。
 記事内もくじ 
 ・書籍情報
 ・内容
 ・書評
 ・装幀の話

初出:「群像」2019年5月号、7月号、9月号、11月号、12月号。
装画:青木鐵夫さんの「ベンチ」(藤枝静男 年譜・著作年表の方。笙野頼子著書一覧まで作成)
表紙はがき:日本近代文学館蔵
装幀:ミルキィ・イソベ+安倍晴美[ステュディオ・パラボリカ]。
初版のしおりと花布、装幀者の指定と違ってしまったそうです。

本書は群像の連作「会いに行ってーー静流藤娘紀行」全5回をまとめたもの。
作中で言及される追悼文と文芸文庫『田紳有楽』の紹介記事↓も収録されています。
・「会いに行った──藤枝静男」(「群像」1993年7月号)
・「二十六年前会った「神様」」(「朝日新聞」2007年2月25日)

私小説を徹底し新境地を開いた小説家・藤枝静男について、笙野さんが「私小説」ならぬ「師匠説」を展開していく本作。
なぜ藤枝氏なのか。それは群像新人賞選考でデビュー作「極楽」を激推しされたからなのです。まさに文学の師。
作中、我が文学の師、 師匠の生涯と彼の「私小説」について、追ってゆく予定である。さて、ここで造語して言う。今から書くものを私は、 師匠説と呼ぶ。その上でこの、師匠説を書いてゆく。というのも師匠のような「私小説」を私は書けないから。そこで今回は彼に寄生して書く。 師匠説、それは要するに作家論には とても足りない自説に過ぎないものだ。でも、自分の師匠について書いたフィクションにして、論説である。ちなみにそれはけして大きい説ではなく、小さい説ばかりを綴るのみならず、そのすべてが、自説、私説に過ぎない。要は私の師匠についての、私的すぎる小説。さらに正確に言えば私淑師匠小説、というべきものである。
本作は「師匠」のテキストに寄せて「私的すぎる小説」は進みます。
藤枝の経歴、師匠との出会い。『志賀直哉・天皇・中野重治』から、藤枝の天皇・権力に対する態度。
『田紳有楽』より師匠の文学的自我、「犬の血」と「イペリット眼」「硝酸銀」から医学的戦争的私小説、『空気頭』『悲しいだけ』「庭の生きもの」、「雛祭り」からいわゆる私小説における藤枝のあり方を解析。
著者との共通点ともいえる「肉体から逃げない、しかもそれを理解しない、理解しない、が、付き合う。」という姿勢(まるで研究者の様だ)を鍵に、多様な作品の中に散りばめられた藤枝の姿を拾い上げてゆく。
細部を通じてこそ全体を受け入れ、大きい社会への批評性も共感も作ってゆく人。
教育パパに愛され、医学部をで眼科医院に婿入り名医で知られる藤枝。志賀直哉とも交流があり、家族や友人にも恵まれた順風満帆な人生なはず。
なのに私が最も印象的だったのは、労働者階級から玉の輿ともいえる医者という特権階級で生活しながらも、違和感を持ち続け馴染みきれない心。最後は故郷にある両親の墓に帰りたいと願う姿。(まるで故郷をでた嫁?)
兄弟姉妹は病で先立たれ、戦争に痛めつけられ、生き残った罪悪感としがらみに囚われる心優しき家夫長の姿。(群れを守る動物みたい)
そりゃ小説くらい、自由に書かせてくれってなりますよ。
これまでの藤枝静男のイメージが変わりましたね。また読み直してみたくなってきますよ。

感想リンク集

さっそく馬場秀和さんが感想を書かれています。
「 師と仰ぐ「私小説」の書き手、藤枝静男。笙野頼子さんが「我が文学の師」と呼ぶ師匠について、敬意と畏怖をこめて書いた評伝、ではなくて師匠説、私小説をめぐる私小説。」
私小説をめぐる私小説。まさにその通り。何かマトリョーシカみたいで面白いですね。

東條慎生さんも感想寄せてますよ。ブログの感想
笙野頼子『会いに行って 静流藤娘紀行』 - Close To The Wall
私を書くことそのものが私ではない私を生み出すことや、私の眼前のものを直視していくことという、書くことそのものの他者性が迫り出してくる。徹底して私的になることによって私を越えた私を文章に刻みつける、書くことの意味にたどりつく。私と他者と書くこととの、笙野頼子の方法のありようがここにはある。
藤枝静男との共通点でもあり、笙野頼子の方法論になっている。
そういえばこれ、印象派の方法論だ。そりゃ師匠セザンヌ愛な訳だ。

ツイートの方はツリーになってます。
リアリズムから幻想にいたる破格の私小説としての藤枝静男作品との長年にわたるつきあいや親族の話を前提にした私的な読みが、まさにその実践でもあるようなかたちで描かれつつ、いま目の前にあるものを自分の「茫界偏視」として言葉にし続ける「報道」に結実する笙野頼子の「師」と「私」の小説。
後藤明生『壁の中』での永井荷風の延々たる読み込みを思い出すような、文学的先達との小説的対話になっていて、『金毘羅』が自身の誕生秘話でもあったように、今作は作家笙野頼子の誕生に大きくかかわった藤枝静男と自身とをたどり返す一作ともなっている。
目の前の庭を描く姿勢が「私小説」と「報道」でつながっていくのですね。
私も本作は『金毘羅』や『未闘病記』の流れだと感じていましたが、「自身を振り返る」共通項でつながるのか。

TQRさんの感想。藤枝を「極めて変な話を真面目にする変な叔父さん」とはナイス。
TQRの歌: 会いに行って 静流藤娘紀行
本作は藤枝静男を対象とした論考である。すると、必然的に瓜二つである作者・笙野頼子についての論考にもなる。藤枝静男と笙野頼子は違う人間であり、顔も違えば身体の構造も違う。しかし、私小説、ことに独自手法の“師匠説”においては、二人を同時に語ることが可能になる。同一人物としてではなく、“師と弟子”として二人は瓜二つである。
そうそう。読んでいる内に、二人は似てる、まさに師匠と弟子!と思えてくるのですよ。
 本作では、弟子である笙野頼子が、自分と藤枝静男の「そっくりなところ」を語っていく。(略)読んでいると時折目眩がして、笙と藤の境界が曖昧になってくる。そうなるように書いている。とはいえ二人は性欲(藤)、難病(笙)を抱える別個の存在でもある。そしてまた一方は湿疹をかきむしり、一方は金の皮を揉みしだき、かゆみを媒介に融合したりする。このあたりは目まぐるしく、愉快である。
全く同感。ここが本作の魅力ですよね。語られていく二人の共通点を読んでいくうちに、新たな藤枝静男象が現れてくる。面白いですよね。

講談社「装丁のあとがき」で、ミルキィ・イソベさんが本書の装幀を解説されています。

実は最初のラフを提示した段階では、作品中に登場する3人の作家との交感をイメージしていた。いただいていた絵の候補もplan3の絵柄などで、志賀直哉、中野重治、と師匠・藤枝静男の、人となりや表現の差異を描きながら、藤枝静男を浮かび上がらせて行くものと思っていた。それは大前提として、まさに“会いに行って”みることから立ち上がってくるものを掴めと、笙野さんの言葉が指ししめしてくれたのだった。

  “会いに行って”みれば――そこから変化が起きるのだ。

作中の遺族のお嬢さんとのやりとりも、今につながる人との交流について描かれていることも、登場する作家たちの考え方にも、そして、藤枝静男の生きた土地の青、「海はギリシャの青、浜松の空は抜けるようなブルー」(笙野さんの説明)とも読者は出会うことになる。タイトルのタイポグラフィは考え直そう。

こうした人々との出会い触れ合いによる心情をも感じさせる文字のかたち、格式と優しさとを湛えたタイポグラフィで構成することにした。藤枝静男や作家たちとの時空を超えた交感を主軸にすれば、文字面にも強さが欲しくなる。そうではなく、やわらかな声が聞こえてくるような……。

本書の骨格となるテーマは、師匠つながりの出会いと交流、それを描いた小説なのですね。なるほど。
読者は何度も、静男邸の池や藤枝市の空や海と出会いますからね。特にラストシーン…。

ちなみに講談社のPR誌「本」2020年7月号に、笙野頼子「「会いに行って」書いた」のエッセイが掲載されています。
藤枝静男の弟子が神に捧げる「師匠説」、『会いに行って』著者エッセイ - 講談社BOOK倶楽部
藤枝静男の弟子が神に捧げる「師匠説」、『会いに行って』著者エッセイ (2020年7月11日) - エキサイトニュース

書評など

週刊文春2020年9月10日号に『会いに行って 静流藤娘紀行』の書評が掲載されました。評者は斎藤美奈子さん。
生前に会ったのは一度だけ…自分を作家にしてくれた「師匠」とどう向き合ったのか | 文春オンライン

そんな伝記的事実もまじえつつ、しかしテキストはときに藤枝作品の細部に分け入り、ときに生前の交友録をひもとき、ときには笙野自身の叫びにも似た生活実感を混入させながら進むのである。評伝でも批評でも身辺雑記でもなく、しかしその全部でもあるような鬼気迫るテイスト。

〈師匠、師匠、師匠、今、二〇一九年です、九月十六日です、時刻は夜です、台風通過後ですがそろそろまた大雨です〉。千葉県在住の著者を襲った台風。〈この災害の中で文学に、ことに被災地の難病の「老婆(老婆なのか?)」のやっている文学に何が出来るのであろう?〉と自問しつつ、しかし彼女は言い切るのだ。〈ふん! 当然出来るともさっ!〉

 笙野頼子は文学に対して真摯な人だが、文学の中に閉じこもる人ではない。その作家が社会と資料の両方を睨んで、生前に会ったのは一度だけという文学上の師匠と向き合う。私小説の力を再認識させる、彼女にしか書けない快作である。

まさにその通り。的確すぎる書評お見事です。

東京・中日新聞2020年6月25日夕刊コラム大波小波にも『会いに行って』が紹介されていました。
「「師匠」と呼び「世界一の私小説家」と仰ぐ藤枝を、「私小説」ならぬ「師匠説」として自説を語りつくす異色の作家論小説である。」
確かに異色です。発売10日で紹介するとは仕事が早いぜ。

毎日新聞2020年7月29日(水) 夕刊の文芸時評7月 田中和生「遠藤周作の未発表小説 新たな読みを喚起」で笙野頼子『会いに行って 静流藤娘紀行』が紹介されています。
毎日新聞7/29文芸時評に『会いに行って』:笙野頼子資料室blog

群像2020年9月号に、吉田知子さんの笙野頼子『会いに行って 静流藤娘紀行』の書評「悲しいだけ」が掲載されています。
群像9月号に『会いに行って』書評 吉田知子「悲しいだけ」掲載

参考資料ともくじ

【主要参考資料】
『藤枝静男著作集 全六巻』(講談社)
「田紳有楽」藤枝静男(「群像」1974年1月号 7月号 1975年4月号 1976年2月号)
「冬の王の歴史」勝又浩(群像1982年4月号)
『志賀直哉・天皇・中野重治』藤枝静男(講談社文芸文庫)
『五勺の酒・萩のもんかきや』中野重治(講談社文芸文庫)
『暗夜行路』志賀直哉(新潮文庫)
『裾野の「虹」が結んだ交誼ー曽宮一念、藤枝静男宛書簡』増渕邦夫編、和久田雅之監修(羽衣出版)
『作家の姿勢ーー藤枝静男対談集』(作品社)
『藤枝静男論ーータンタルスの小説』宮内淳子(エディトリアルデザイン研究所)
『中野重治全集 第19巻』(筑摩書房)
『藤枝静男と私』小川国夫(小沢書店)
目次もメモしておきます。
1 これから私の師匠説を書く
2 師匠にお手紙を書く
3 志賀直哉・天皇・中野重治・共産党・師匠・金井美恵子・朝吹真理子・吉田知子・海亀の母・キティ・宮内淳子・私……?
4 師匠、師匠、何故に?かのやふに長き論考を残し賜ひしや
5「「暗夜行路」雑談」・「五勺の酒」、という中黒丸で「冷静に」つなぐ後日談
6 特権階級意識の潜在と天皇への親愛感
7 このまま真っ直ぐ行けばよいのか?──『暗夜行路』・『田紳有楽』・越えられない壁>>>>「二百回忌」
8「夢、夢、埒もない夢」、「エーケル、エーケル」と、……師匠はこだわりなく作中に書いている。とはいうものの『田紳有楽』は常に、自覚的に書かれている故に成功したのであると私は言いたい……。
9 さあここで国語の試験問題です、これを書いている僕はどんな人か?
10 池は魂、水は欲望の通路、茶碗は割って沈めた自我、水棲生物は過去の記憶え?そんなのあらすじ紹介の横にきちんと纏めとけだって、しかしそんな事したらあのめくるめく錯綜がぶつぶつに切れてしまう。ていうか既に支離滅裂寸前だし。なので引用もどんどん、後ろに纏めます。
11 最終回に仕残したもの?しかしすべて日本も、とうとう、最終回なのかも?──やめろ一億焼け野原!審議拒否しろ(後述)日米FTA#
12 というわけでニッポン合掌ニッポン馬鹿野郎、首相と一緒にラグビー見ていた?何も知らずに?ニッポン、終末
13「犬の血」と「イペリット眼」、私小説における、医者的報道的自我について
14「硝酸銀」はフィクション、『空気頭』は「真実」、「冬の虹」は遠景記録物、そして師匠にとっての、戦争とは?
15『空気頭』の一行空きについて引用する
16 妻の遺骨、『悲しいだけ』、「庭の生きもの」、「雛祭り」
17 彼の化けた骨董

ついでに「群像」掲載時のまとめ記事も置いときますね。
群像5月号新連作「会いに行ってーー静流藤娘紀行」開始

装幀の話

講談社でコラム集なサイトがあるんですね。そこの装幀者が仕事を語るコーナーで、『会いに行って』の装幀をされたミルキィ・イソベさんが、本書の制作過程を教えて下さってます!
・ラフ案が五つ
・タイトルのタイポグラフィの理由
・藤色をやめ、藤枝静男の生地の海と空の青をメインに据えた
・花布としおりも青だった
タイトルのフォントデザインが過去作に比べて筆跡ぽくて優しい感じと思ったら、そう言う理由だったんですね。
栞がミスで違う色になってしまったのは残念ですが、ミルキィさんの美しい装幀のお仕事を垣間見れてとても楽しかったです。また次作の解説もキボンヌ。
今作はこれまでと違って白黒で落ち着いた装幀ですね。
まるでラストシーンを彷彿とさせる色彩がきれい。
ラストシーンの晴天の春の優しい海のような青い帯、真っ白の大きな船を思わせるカバー。
カバーを外した表紙の鈍く光る藍鼠色は、まるで海の水面のような、鈍く光る古い茶器のような。
銀色に輝く海から蒼く浮かび上がる、藤枝静男の直筆はがきそしてタイトル。どこか映像的で格好いい。
見返しの灰色をめくると、色が映り込んだような銀色のタイトルが目に入る構成もいいですね。表紙とつながっている感じで素敵。

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