『会いに行って 静流藤娘紀行』感想まとめ
・「二十六年前会った「神様」」(「朝日新聞」2007年2月25日)
作中、我が文学の師、 師匠の生涯と彼の「私小説」について、追ってゆく予定である。さて、ここで造語して言う。今から書くものを私は、 師匠説と呼ぶ。その上でこの、師匠説を書いてゆく。というのも師匠のような「私小説」を私は書けないから。そこで今回は彼に寄生して書く。 師匠説、それは要するに作家論には とても足りない自説に過ぎないものだ。でも、自分の師匠について書いたフィクションにして、論説である。ちなみにそれはけして大きい説ではなく、小さい説ばかりを綴るのみならず、そのすべてが、自説、私説に過ぎない。要は私の師匠についての、私的すぎる小説。さらに正確に言えば私淑師匠小説、というべきものである。本作は「師匠」のテキストに寄せて「私的すぎる小説」は進みます。
『田紳有楽』より師匠の文学的自我、「犬の血」と「イペリット眼」「硝酸銀」から医学的戦争的私小説、『空気頭』『悲しいだけ』「庭の生きもの」、「雛祭り」からいわゆる私小説における藤枝のあり方を解析。
細部を通じてこそ全体を受け入れ、大きい社会への批評性も共感も作ってゆく人。
なのに私が最も印象的だったのは、労働者階級から玉の輿ともいえる医者という特権階級で生活しながらも、違和感を持ち続け馴染みきれない心。最後は故郷にある両親の墓に帰りたいと願う姿。(まるで故郷をでた嫁?)
兄弟姉妹は病で先立たれ、戦争に痛めつけられ、生き残った罪悪感としがらみに囚われる心優しき家夫長の姿。(群れを守る動物みたい)
感想リンク集
私を書くことそのものが私ではない私を生み出すことや、私の眼前のものを直視していくことという、書くことそのものの他者性が迫り出してくる。徹底して私的になることによって私を越えた私を文章に刻みつける、書くことの意味にたどりつく。私と他者と書くこととの、笙野頼子の方法のありようがここにはある。
笙野頼子『会いに行って 静流藤娘紀行』、作者が新人賞を取った時は知らなかった藤枝静男。彼が推挙してくれたことで世に出た作者が、私小説を突き詰めて私小説から大きく逸脱する私小説、という彼の影響を受けた方法によって藤枝を語る、「私小説」ならぬ「師匠説」と称するその文学的恩への返答。
— 東條慎生のReal genuine fakes (@inthewall81) June 27, 2020
リアリズムから幻想にいたる破格の私小説としての藤枝静男作品との長年にわたるつきあいや親族の話を前提にした私的な読みが、まさにその実践でもあるようなかたちで描かれつつ、いま目の前にあるものを自分の「茫界偏視」として言葉にし続ける「報道」に結実する笙野頼子の「師」と「私」の小説。後藤明生『壁の中』での永井荷風の延々たる読み込みを思い出すような、文学的先達との小説的対話になっていて、『金毘羅』が自身の誕生秘話でもあったように、今作は作家笙野頼子の誕生に大きくかかわった藤枝静男と自身とをたどり返す一作ともなっている。
TQRの歌: 会いに行って 静流藤娘紀行
本作は藤枝静男を対象とした論考である。すると、必然的に瓜二つである作者・笙野頼子についての論考にもなる。藤枝静男と笙野頼子は違う人間であり、顔も違えば身体の構造も違う。しかし、私小説、ことに独自手法の“師匠説”においては、二人を同時に語ることが可能になる。同一人物としてではなく、“師と弟子”として二人は瓜二つである。そうそう。読んでいる内に、二人は似てる、まさに師匠と弟子!と思えてくるのですよ。
本作では、弟子である笙野頼子が、自分と藤枝静男の「そっくりなところ」を語っていく。(略)読んでいると時折目眩がして、笙と藤の境界が曖昧になってくる。そうなるように書いている。とはいえ二人は性欲(藤)、難病(笙)を抱える別個の存在でもある。そしてまた一方は湿疹をかきむしり、一方は金の皮を揉みしだき、かゆみを媒介に融合したりする。このあたりは目まぐるしく、愉快である。全く同感。ここが本作の魅力ですよね。語られていく二人の共通点を読んでいくうちに、新たな藤枝静男象が現れてくる。面白いですよね。
実は最初のラフを提示した段階では、作品中に登場する3人の作家との交感をイメージしていた。いただいていた絵の候補もplan3の絵柄などで、志賀直哉、中野重治、と師匠・藤枝静男の、人となりや表現の差異を描きながら、藤枝静男を浮かび上がらせて行くものと思っていた。それは大前提として、まさに“会いに行って”みることから立ち上がってくるものを掴めと、笙野さんの言葉が指ししめしてくれたのだった。
“会いに行って”みれば――そこから変化が起きるのだ。
作中の遺族のお嬢さんとのやりとりも、今につながる人との交流について描かれていることも、登場する作家たちの考え方にも、そして、藤枝静男の生きた土地の青、「海はギリシャの青、浜松の空は抜けるようなブルー」(笙野さんの説明)とも読者は出会うことになる。タイトルのタイポグラフィは考え直そう。
こうした人々との出会い触れ合いによる心情をも感じさせる文字のかたち、格式と優しさとを湛えたタイポグラフィで構成することにした。藤枝静男や作家たちとの時空を超えた交感を主軸にすれば、文字面にも強さが欲しくなる。そうではなく、やわらかな声が聞こえてくるような……。
藤枝静男の弟子が神に捧げる「師匠説」、『会いに行って』著者エッセイ (2020年7月11日) - エキサイトニュース
書評など
生前に会ったのは一度だけ…自分を作家にしてくれた「師匠」とどう向き合ったのか | 文春オンライン
まさにその通り。的確すぎる書評お見事です。そんな伝記的事実もまじえつつ、しかしテキストはときに藤枝作品の細部に分け入り、ときに生前の交友録をひもとき、ときには笙野自身の叫びにも似た生活実感を混入させながら進むのである。評伝でも批評でも身辺雑記でもなく、しかしその全部でもあるような鬼気迫るテイスト。
〈師匠、師匠、師匠、今、二〇一九年です、九月十六日です、時刻は夜です、台風通過後ですがそろそろまた大雨です〉。千葉県在住の著者を襲った台風。〈この災害の中で文学に、ことに被災地の難病の「老婆(老婆なのか?)」のやっている文学に何が出来るのであろう?〉と自問しつつ、しかし彼女は言い切るのだ。〈ふん! 当然出来るともさっ!〉
笙野頼子は文学に対して真摯な人だが、文学の中に閉じこもる人ではない。その作家が社会と資料の両方を睨んで、生前に会ったのは一度だけという文学上の師匠と向き合う。私小説の力を再認識させる、彼女にしか書けない快作である。
毎日新聞7/29文芸時評に『会いに行って』:笙野頼子資料室blog
群像9月号に『会いに行って』書評 吉田知子「悲しいだけ」掲載
参考資料ともくじ
【主要参考資料】目次もメモしておきます。
『藤枝静男著作集 全六巻』(講談社)
「田紳有楽」藤枝静男(「群像」1974年1月号 7月号 1975年4月号 1976年2月号)
「冬の王の歴史」勝又浩(群像1982年4月号)
『志賀直哉・天皇・中野重治』藤枝静男(講談社文芸文庫)
『五勺の酒・萩のもんかきや』中野重治(講談社文芸文庫)
『暗夜行路』志賀直哉(新潮文庫)
『裾野の「虹」が結んだ交誼ー曽宮一念、藤枝静男宛書簡』増渕邦夫編、和久田雅之監修(羽衣出版)
『作家の姿勢ーー藤枝静男対談集』(作品社)
『藤枝静男論ーータンタルスの小説』宮内淳子(エディトリアルデザイン研究所)
『中野重治全集 第19巻』(筑摩書房)
『藤枝静男と私』小川国夫(小沢書店)
1 これから私の師匠説を書く
2 師匠にお手紙を書く
3 志賀直哉・天皇・中野重治・共産党・師匠・金井美恵子・朝吹真理子・吉田知子・海亀の母・キティ・宮内淳子・私……?
4 師匠、師匠、何故に?かのやふに長き論考を残し賜ひしや
5「「暗夜行路」雑談」・「五勺の酒」、という中黒丸で「冷静に」つなぐ後日談
6 特権階級意識の潜在と天皇への親愛感
7 このまま真っ直ぐ行けばよいのか?──『暗夜行路』・『田紳有楽』・越えられない壁>>>>「二百回忌」
8「夢、夢、埒もない夢」、「エーケル、エーケル」と、……師匠はこだわりなく作中に書いている。とはいうものの『田紳有楽』は常に、自覚的に書かれている故に成功したのであると私は言いたい……。
9 さあここで国語の試験問題です、これを書いている僕はどんな人か?
10 池は魂、水は欲望の通路、茶碗は割って沈めた自我、水棲生物は過去の記憶え?そんなのあらすじ紹介の横にきちんと纏めとけだって、しかしそんな事したらあのめくるめく錯綜がぶつぶつに切れてしまう。ていうか既に支離滅裂寸前だし。なので引用もどんどん、後ろに纏めます。
11 最終回に仕残したもの?しかしすべて日本も、とうとう、最終回なのかも?──やめろ一億焼け野原!審議拒否しろ(後述)日米FTA#
12 というわけでニッポン合掌ニッポン馬鹿野郎、首相と一緒にラグビー見ていた?何も知らずに?ニッポン、終末
13「犬の血」と「イペリット眼」、私小説における、医者的報道的自我について
14「硝酸銀」はフィクション、『空気頭』は「真実」、「冬の虹」は遠景記録物、そして師匠にとっての、戦争とは?
15『空気頭』の一行空きについて引用する
16 妻の遺骨、『悲しいだけ』、「庭の生きもの」、「雛祭り」
17 彼の化けた骨董
装幀の話
・タイトルのタイポグラフィの理由
・藤色をやめ、藤枝静男の生地の海と空の青をメインに据えた
・花布としおりも青だった
【新刊】笙野頼子さんの最新刊『会いに会って 静流藤娘紀行』が発売されました。神と仰ぐ宇宙的私小説作家・藤枝静男の人と文学に限りない敬慕をもって迫る「師匠説」。カバーを取ると、作中に引用されている藤枝静男の肉筆葉書が銀地に静岡ブルーで刷られています。貴重!https://t.co/1cgo1HOWpz pic.twitter.com/XOcgo8IG8r
— 群像 (@gunzo_henshubu) June 19, 2020
ラストシーンの晴天の春の優しい海のような青い帯、真っ白の大きな船を思わせるカバー。
見返しの灰色をめくると、色が映り込んだような銀色のタイトルが目に入る構成もいいですね。表紙とつながっている感じで素敵。