『蒼生2019』特集「文学とハラスメント」に笙野頼子「これ?二〇一九年蒼生の解説です」掲載(2)

早稲田大学文芸・ジャーナリズム論系の学生誌『蒼生2019』の特集「文学とハラスメント」に、笙野頼子「これ?二〇一九年蒼生の解説です」が掲載されています。
前回の紹介記事はこちら

「蒼生」は早稲田大学の授業「編集実践2」で作る冊子で、公募作品と本特集「あなたとして生きる」、自主企画「文学とハラスメント」「紙の本を保存すること」を収録。
「文学とハラスメント」の前書き「文学学術院の皆さま、そしてお読みくださるすべての方々へ」(P66)で、なぜ企画されたかがわかります。
学内には、一連の問題をすでに終わったものとみなすような空気が流れています。しかし報道を見ているかぎり渡部から被害者女性にたいして誠実な謝罪がなされたとは言い難く、隠蔽や抑圧ともとれる行為をはたらいた教員に名への処遇も、学生の不信感を拭い去るものとは到底思えません。だからこそ私たち、渡部の元ゼミ生と卒研生から構成される七名は、文ジャの学生が今回のハラスメントについて考える場をどうしてもこの『蒼生』の内部に作りたかった。そのような思いから立ち上げられたのが特集「文学とハラスメント」です。

しかし雑誌を作り上げていく過程で、私たち自身も担当教員からハラスメントを受けました。授業日程の不可解な変更、例年よりも大幅に削減されたページ数、「君たちに危険が及ぶといけないから」「名誉毀損で訴訟されるかもしれないので掲載は難しい」という教員の<助言>、特集を自発的に取り下げるよう誘導するための<相談>……。

担当教員からの多岐にわたる妨害については、抑圧者の言語を一貫して批判し続けている小説家の笙野頼子さんがご自身の論争経験も踏まえながら、学生による戦いの記録を残してくださいました。
ミナガワジャミさんのツイートに画像あり
渡部直己元教授のセクハラ事件考える場を作りたかったから、渡部の元ゼミ生と卒研生達が特集を作ろうとした。
しかしそれは叶わなかった。そしてなぜ出来なかったかという記録を残したと。
それが笙野さんの解説記事なのですね。
記事では、以下の三つが解説されています。
・授業日程の不可解な変更
・例年よりも大幅に削減されたページ数
・教員の<助言>

● 依頼の話
笙野頼子「これ?二〇一九年蒼生の解説です」は、学生の依頼から始まります。
一月下旬に「蒼生」のインタビューの依頼。
発注1月19日、仕上げ2月3日、ゲラ二回チェックというスケジュール。16日しかない。
「私達学生は渡部直己教授のセクハラ告発をするべきだと思いました。すると市川先生と北原先生からありとあらゆる妨害を受けました。僕は今自分もハラスメントの被害者だと感じています。この批判を終えるまでは卒業しません」
「セクハラを許せない。渡部氏だけではない。ある女性教員は 被害者に味方したり学生が嫌な目にあわないように注意喚起をし、相談に乗ってくれてもいた。市川先生はそれをいなしに行き、ほどほどにしろと牽制したんです」p69
確か女性教員の話はセクハラ調査結果の報告にあったような。>調査結果および本学の対応について – 早稲田大学
書くべき事を潰す、それも「形式を整える」とか「内部事情は私的なものだから」とかそういう言い訳でそれを無くしていく?私は許さない。つまり、そんな言い訳している奴こそが批判される奴だからだ。
なるほど固有名詞の排除、それでも批判は出来る、むしろそうした方が歴史的に腐らないし象徴的な悪を描く事が出来る場合もある。それは私もよくする。一方ここで固有名を出すべし という重要なポイントもある。どっちにしろ、黙っていてはいけない。 「ただ今回は固有名詞必要でしょう?むしろ歴史的に風化させてはいけない、ああ、そう言えば前世紀にただ一度だけ会った田中三彦氏が、書評欄に東京電力の四文字を書けぬことを怒っていた。私は彼に会ったので『水晶内制度』を書いた。というと結局?固有名詞は巨悪限定だからワセダには関係ないという話になるのかな」。
たかが一大学?しかし早稲田がマスコミを形成しているのだろう?ならばやるべし。
「要するに、君らの先生、指導教員を批判する特集ですな? それむしろオーナーや学長の告発より大変かもしれないね、つまり雑誌でも一番批判がやりにくいのは、社長とかじゃない、 むしろ現場の編集者だよ、しかもセクハラは、普通現場で起こるものだし」。
p70。自己検証するってジャーナリストとして一番難しい仕事ですよね。それを学生がするなんて本当に勇気がある。

● 授業の方針が変わる
学生たちは「授業日程の不可解な変更」があったという。p71
本来はしたい企画を自分達で立て、先生方の許可は貰うけれど、 オリジナルを工夫した本特集を例年、実行するのです。それが卒業制作になったはずなのです。なのに今回は本特集が、この模擬特集に差し替えられました。
授業内容を詳細に解説したnoteによると
「蒼生2019」への少し長い編集後記・1|文永|note
・特集プレゼンが二回延期
・編集会議でプレゼンし各企画を実行→特集のプレゼン後、自主企画プレゼン。
自主企画したい人は本特集+自主企画の二つ並行して作る形に。
(編集会議で雑誌作りかと受講したら、全く違うと後からわかったと。シラバスが方針まで変わるのは初めて聞いたな。)

● 自主企画のページ数
「宮崎監督については先生方から、本当に御本人のインタビューが取れるかもしれないと聞かされていました。これが証拠の板書写真です。しかし、それから二ヵ月、何の音沙汰もなく、思い切って北原先生に聞いてみたところ、お忙しいので断られた とあっさり言われました」
だったらもしかしたら、それ、まず滅多に取れないインタビューでしょ、じゃあ、模擬特集と称して、ただもう君達の告発に使うページを減らすために?
K君は言った「かも、しれません、......判らないけれど、ともかくこの模擬が四〇ページ、告発に使える枚数はせいぜい一〇ページです。それでも、僕は、市川批判なしにはこの特集を出しません、市川批判なしには、卒業しません」p72
編集部注 3.二〇一八 年一一月一〇日(土)時点での教員による説明では、全体一一八ページ、うち卒論・創作パート七〇ページ、 宮崎駿(模擬)特集四〇ページ、自主企画に使えるのは八ページしかない予定だった。主任の堀江敏幸先生に相談し、授業の現状を文芸・ジャーナリズム論系の会議で話してもらった後は、ページ数の制限がなくなった。論系の予算が出る範囲ならばある程度の伸縮は可能。つまり最初から八ページ制限に根拠はなかったということになる。
例年は創作70p+自主企画(48p位?) → 今年から創作70p+特集40p+自主企画8〜10p と変更されたと。
板書では本特集がメインで、他の特集は少なめと。創作と特集の2本立て+色々という風の雑誌の予定だったのですね。
文永さんのnoteにも自主企画のページ数の話がありました。
「蒼生2019」への少し長い編集後記|文永|note
先生方の板書では、自主企画はだいたい10pくらいと書いてあったのですが、それにKさんが質問しました。質問というより、食って掛かる、というような調子だった

● 教員の<助言>と休講
 彼らのいるコースの、彼らにハラスメントをし続けた先生二人に対抗するための証拠日誌。それでは全体の内容を簡潔に纏めます。
九月二十九日授業初回、学生が自己紹介に文壇のハラスメントを「蒼生」で特集したいと書く、次週、無視される。宮崎インタビューの模擬特集が一方的に通達され、以後打ち合わせ、プレゼン、学生の創意工夫なし、改善なしのままに、教員による講評。「インフルエンザかもしれないので」という理由の休講も入り(結局違ってたそうで)、しかし休講って普通補講しないのか?研究室に集まってあとで一緒にご飯食べたりして(立教に特任教授でちょっと行っていたとき私はそうしていた)。
まあなんというか、だらだらだらだらのらりくらりずーっと ずーっと「させない」という形の邪魔が続きます。本特集の企画そのものを出させないという「環境設定」。中に二つばかりある暴言をここに。
北原美那先生「(教室で、彼らが妨害を越えて、ついに、笙野インタビューをやりますと宣言するのは十二月八日、その後 十二月二十七日に先生はこう提案)名誉棄損訴訟が起こるといけないので個人名が書けない場合があると言っておけば(出席学生三名が証人)」
ああああ、報道は訴訟上等街宣歓迎でしょ?書けない名前って誰、ご本人のはここに。 とどめこのインフル休講中に現れた市川君のセリフ「表現の制約を学んでほしい」
おおおお、昔私に学ばせたと言いたいのかえ?それ話が逆だろう「マスコミに旅立つ早稲田の君達よ、さあ、表現の制約を 広告主を越えよう、その方法を学べ」これが正解だ。p73
よくわからないので、授業日程を一覧にしてみました。
(1)自己紹介アンケート(09/29)
(2)インタビュー動画文字起こし
(3)班わけ
(4)模擬特集
(5)模擬特集
(6)模擬特集発表→来週に延期(11/10)
(7)突然の休講(プレゼンなし)「表現の制約を学んでほしい」(11/17)
(8)特集企画案プレゼン大会コンペ
(9)投票結果発表 自主企画一覧(12/08)
(10)自主企画募集(「紙の本」「文学とハラスメント」のみ)
(11)編集会議
(12)編集会議 固有名詞なしにと助言を受ける(12/27)
(13~15)編集会議
模擬特集の発表が延期になったのは通達があったそう。>文永|note
「模擬」ということだった模擬特集を、実際の「蒼生」に載せられるようにはからうと先生方から言われ、そのためにもう一度練り直して来週改めて発表すると通達

『蒼生2019』の編集後記では「文学とハラスメント」編集長がシラバス検索で比較してみるとよいとありました。雑だけど表にしてみた。
No.日時2018授業2018シラバス2019シラバス
19/29自己紹介アンケートオリエンテーションオリエンテーション
2インタビュー動画文字起こしテーマ設定、ミニプレゼン雑誌作りと記事執筆
310月中旬班わけ編集会議模擬特集制作
4模擬特集編集会議模擬特集制作
510月末模擬特集制作模擬特集の講評
611/10模擬特集プレゼンコンペ→来週に延期制作(取材)企画
711/17本特集プレゼン→休講で延期制作(原稿)発表・特集班分け
8特集企画案プレゼン大会制作(原稿)特集制作 下調べ
912/08コンペ結果発表 自主企画一覧制作(デザイン)特集制作 依頼
10自主企画募集プレゼン制作特集制作 取材
11編集会議制作特集制作 記事
1212/27編集会議制作特集制作 校正
13編集会議制作特集制作 組版
14編集会議完成へ全体統合、目次作成
15編集会議まとめまとめ
2019年度と比較しても休講などで二・三週位遅れてますよね。
インタビューの依頼が直前でタイトすぎるのも無理はありません。
それには理由があったようです。
市川真人「拝復 笙野頼子様」|note」によると。
 執行部に問い合わせてから、学科が上記のような最終的な方針を決定すくまでには、ほぼひとつきが経過しています。このかん、10月12日の研究室での、ぼくも同席した打ち合わせで、K先生はH主任から「渡部ゼミの学生たちが、10月29日予定の学術院長による説明にどう反応したかを見て、対応方法を判断したい」という理由で「11月3,4日の早稲田祭が終わるまで時間を稼げますか」とはっきり聞かれています。K先生はしばらく悩んだあと、模擬特集のようなかたちで「予定していた進行の一部を拡大したり、順序を入れ替えればなんとか可能」と答え、H主任からそうするように依頼されました(打ち合わせ後、ぼくとK先生は、カリキュラム後半の実作業回が足りなくなる懸念を話し合いましたが、そのぶん作業段階で遅れを取り戻せるような指導を進めて、主任の指示を待つ結論になりました)。
H主任は11/4まで時間を稼げと指示した。それで模擬特集が2回あるのですね。
ではその後のプレゼン二回延期は何でしょう。
文芸・ジャーナリズム論系のハラスメントに対する非常勤講師手記 5|北原美那
その後、前回の面談で聞かれた補償に関する件で、H主任の指示による引き延ばしの事実について、J教務は
・北原先生はH主任による引き延ばしがあったと主張していたが、その事実と、学生たちが妨害を感じた時期が異なる。H主任の責任ではないのではないか。
という見解を述べました。
J教務もその点疑問に思われたようですね。私も疑問だ。

前書きの「特集を自発的に取り下げるよう誘導するための<相談>」、こちらは解説にはありませんでした。原稿完成してからの相談のようです。ひょっとして 2/14の話なのでしょうか。
文芸・ジャーナリズム論系のハラスメントに対する非常勤講師手記 3|北原美那|note
「蒼生」原稿到着から完成するまでに色々あったのですね。

私は、「文学とハラスメント」編集部の風化させたくないという強い思いに心打たれました。
何を言われようとも、セクハラ事件の記録を残そうとした学生さん達の行動力。将来大物になりますよきっと。

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