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東京新聞2/27平田俊子「3冊の本棚」に『猫沼』&「写真ばかりの近況報告」資料室に掲載

東京新聞2021年2月27日(土)読書面平田俊子さんの「3冊の本棚」にて、笙野頼子『猫沼』、稲葉真弓『ミーのいない朝』、寺田寅彦『激石先生』を紹介されています。 猫は笙野頼子さんの小説においても実生活においても特別な存在だ。保護した猫たちのことを笙野さんは繰り返し書いてきた。 四匹の猫と安全に暮らせるよう、千葉の印旛沼の近くに家を買った笙野さん。二十年ほどの歳月が過ぎて、ドーラやギドウなど小説でおなじみの猫たちは皆この世を去った。猫との暮らしはもうおしまいかと思いきや、飼い主を亡くした老猫を保護猫シェルターから引き取った。 書き下ろしの新作(1)『猫沼』(ステュディオ・パラボリカ・二二〇〇円)には、 二〇一七年の秋にやってきたピジョンとの生活が描かれている。絶叫するピジョン。病気を抱えたピジョン。モイラの生まれ変わりかもしれないビジョン。いつもの笙野ワールドのようでいて何かが違う。猫との距離が以前と異なり、軽やかさが加わって、新たな境地を感じさせる。  (2)稲葉真弓さんの『ミーのいない朝』(河出文庫・七一五円)は、一九七七年の夏、稲葉さんが子猫を拾ったところから始まるエッセイだ。六年後家主に引っ越しを迫られるものの、猫と住める家が見つからず、中古のマンションを購入する。一方で疎遠になっていた夫と離婚し、作家への道を本格的に歩き始める。 新しい環境で求め合い、支え合いながら 親密に暮らす猫と飼い主。ミーを描きながら、ひたむきに生きる稲葉さんの姿が浮かび上がる。 猫は早く老いていく。九七年に看取り、ミーの好きだった場所に葬るところでエッセイは終わる。 詩人でもあった稲葉さんらしく、本書には猫の詩がいくつもはさまれている。 あとがきには「いまだに私は新しい猫が飼えない」とあるが、ミーがいなくなった三年後、稲葉さんは筆野さんから「坊ちゃん」という猫を引き取り「ボニー」と名付けた。何となく楽しいお二人のつながりだが、稲葉さんは二〇一四年に逝去された。 ボニーは二十歳を過ぎて 近年亡くなったことが『猫沼』に書かれている。 人の死も猫の死も寂しい。 そうなんです。「猫沼」は今までと何か違う