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10月, 2008の投稿を表示しています

「麻生首相のお宅拝見!」デモで警官が暴れる

以前フランスで全国各地でおきたデモをみて、
「日本の若者はなぜデモをしないのだろう」と夕刊で特集した毎日新聞。
「麻生首相のお宅拝見!」デモは喜んでとりあげると思っていました。無届けデモ:ネットで首相宅行き呼びかけ 容疑の3人を逮捕 /東京
警察の発表を鵜呑みにして流しただけですか…。「麻生でてこい救援ブログ」によると、渋谷駅から麻生首相宅へ歩いているとき
いきなり警察官が襲いかかってきて拉致されたらしい。デモに参加していた「雨宮処凜がゆく!」にはわかりやすい説明されている。
麻生の家に行こうと歩いただけで逮捕!!!!の巻
夏の洞爺湖サミットで行ったデモの時も機動隊が襲ってきたらしいとか。
信じられないメチャクチャな逮捕。の巻
この時もそのことは報道されなかった。日本の新聞はなぜデモを正確に報道しないのか。
毎日新聞はそのことを夕刊で特集するべきですな。

猫駅長の「たま電車」デザイン発表!

イメージ
和歌山電鐵は「いちご電車」「おもちゃ電車」など面白い電車を走らせていることで知られています。
今日は来春デビューする電車のデザイン発表が行われました。
期待の新車両の名前は「たま電車」。
貴志駅に在宅勤務するスーパー駅長たまをモチーフにしたもの。
毎日新聞の夕刊に掲載された画像だと、駅長たまイラストをふんだんに盛り込んだキュートな外装になるようす。
よくみると窓の日よけまで駅長でいっぱい!
たま駅長を電車にデザイン 和歌山電鉄貴志川線-産経ニュース
こちらは車内のデザイン画が駅長のうしろに写っています。
フォトニュース:「たまでん」ニャンともいいデザイン-時事通信
車内の車内吊りには「スーパー駅長たまフォト&スケッチコンテスト」で募集した作品を飾る予定だとか。
外はイラスト中は写真でいっぱいの「たま電車」、早くみたいな。↑ちなみに和歌山電鐵でたま写真集を買うと駅長のサイン(風肉球型スタンプ)をもらえます。

栗原氏が永江朗に笙野ブスと29回書かせたと書いてある?

栗原裕一郎氏のブログ 9月29日の記事に笙野頼子の純文学論争の話が。笙野頼子氏が純文学論争の本で、わたくしのことを「永江朗をして笙野頼子はブスだと29回書かせた奴」みたいに書いていましたけど、そういう事実はありません。だいたい永江氏にそんなことを指図できる立場にあるはずもなく(ちょっと考えればわかりそうなものだが)、そもそも永江氏とは一面識もないし。おまえにハートブレイク☆オーバードライブ 2008-09-29 『〈盗作〉の文学史』増刷出来およびいただいた書評プラス永江朗氏にかんする二、三(「の事柄」と続けたくなるが寸止め)そんなこと書いてあったっけ?と『徹底抗戦!文士の森』を読み返してみました。
しかし「永江朗をして笙野頼子はブスだと29回書かせた奴」という文は見つけられなかった。
でもふたつ、栗原氏に触れていた部分をみつけることはできました。ひとつ目はこれ。 栗原氏は自分のブログで「新潮45」を引用していたものの活字でどのように対応したかは判っていない。「まれに見るバカ女」はその後抗議のあったものだけを削除して文庫化された。この女叩き本の続編で氏はその抗議をした女性作家についていわゆる泣き言を書いている。この人は女性の書き手を叩くことで名を上げると共に文学が判る(?)事をアピールしたいタイプの、西哲ライター(前述)である。文学嫌がらせ本の企画や、嫌がらせ特集には、始終顔を出すブログ界の有名人。笙野ブスと二十九回(永江氏が)書いた嫌がらせ本までも実はこの人の企画である。
徹底抗戦!文士の森』 p40「笙野ブスと二十九回(永江氏が)書いた嫌がらせ本」とは『いまどきの「ブンガク」―瀕死の"純文学"から"やおいノベルズ"まで』のことです。
奥付には企画・構成 現代ブンガク研究会(栗原裕一郎・塚原尚人・宮島理)とありました。もうひとつは、岡留安則氏の謝罪文掲載ページにありました。
ちなみに謝罪文とは笙野さんが以前「噂の真相」に捏造スキャンダルを掲載された時、編集発行人の岡留安則に訂正と謝罪を求めた時のもの。 謝罪文自体は被害の内容が具体的なので二次セクハラ防止のため今は一部ふせておきます。ところで件のニュー評論家永江朗氏は「ブス」という言葉を見開きで二十九回使った私の写真入り作家論の中で、私自身が小説の中でしか使っていないこのネタを具体的…

毎日新聞の文芸時評・9月に「海底八幡宮」

毎日新聞夕刊の文芸時評のトップに「海底八幡宮」評がのっていました。
毎日.jpにはアップされていないので掲載します。文芸時評・9月 神話と物語 川村湊(毎日新聞夕刊2008年9月29日)
 八幡神の縁起については、いくつかの説があるが、神功皇后の「三韓征伐」の際に海中から現れたアズミノイソラ(安曇礒良)を原初的な「八幡神」とする考え方がある。笙野頼子の「海底八幡宮」(すばる)は、この『八幡愚童訓』に見られる海神としての八幡神の神話を奔放に展開したもので、彼女のライフワークと目される日本の「天孫」による神話に対する闘争と、壮大な書き換えの作業の要石にも当たる作品のように思われる。 といっても、それはこちたき「疑似神話」の創成とか、神話の裏読みといったものではなく、名誉毀損の訴訟をすると脅すストーカー的な評論家との闘争や、「白山黒尼」との電話での攻防とか、「卑近」な現実的な登場人物とのやりとりもあり、また老猫との共同生活の日常を描く私小説めいた部分もあり、作品世界の多重性、多層性には事欠いてはいないのだ。 「亜知海」(両性具有のようである)という登場人物(神様?)の語る海底の八幡宮のイメージは、きわめて新鮮である。世界遺産である厳島神社は、海上に浮かぶ朱の鳥居と本殿が鮮やかだが、それをそっくり海底に逆さまに映し出したような趣のイメージだ。イソラ、山幸彦、隼人(の守護神)などの「天孫」族との戦いに敗れ、海の底に沈められたような神々の声が、雄々しく、あるいは女々しく響いてくる。「応神八幡」、すなわち「天孫」族との闘争心は、果敢であり、激越なものが作品世界の中に漲っている。 「八幡信仰については資料とまるで異なる読み筋や学術的でない造語がふくまれている」と作者自身は断りを入れているが、そもそも八幡信仰についてのテキストは、託宣集も含めてどれが正統的か判断を下せるようなものではなく、石川淳の「八幡縁起」の石神信仰の起源も含めて、可塑的、過渡的なものにほかならない。「海底八幡宮」は、「応神八幡」に収斂させてゆこうとする、現今の八幡宮の神社神道と、それを擁護する国家神道の野望に対する、激しい抵抗と反抗の姿勢によって際立っているのである。普段のクールさと打ってかわって、こちらにも興奮が伝わってくる文章です。
「八幡神」を切り口にした解説で、「亜知海」と金毘羅の対話を分かりやすくまとめてい…