毎日新聞の文芸時評・9月に「海底八幡宮」

毎日新聞夕刊の文芸時評のトップに「海底八幡宮」評がのっていました。
毎日.jpにはアップされていないので掲載します。

文芸時評・9月 神話と物語 川村湊(毎日新聞夕刊2008年9月29日)

 八幡神の縁起については、いくつかの説があるが、神功皇后の「三韓征伐」の際に海中から現れたアズミノイソラ(安曇礒良)を原初的な「八幡神」とする考え方がある。笙野頼子の「海底八幡宮」(すばる)は、この『八幡愚童訓』に見られる海神としての八幡神の神話を奔放に展開したもので、彼女のライフワークと目される日本の「天孫」による神話に対する闘争と、壮大な書き換えの作業の要石にも当たる作品のように思われる。

 といっても、それはこちたき「疑似神話」の創成とか、神話の裏読みといったものではなく、名誉毀損の訴訟をすると脅すストーカー的な評論家との闘争や、「白山黒尼」との電話での攻防とか、「卑近」な現実的な登場人物とのやりとりもあり、また老猫との共同生活の日常を描く私小説めいた部分もあり、作品世界の多重性、多層性には事欠いてはいないのだ。

 「亜知海」(両性具有のようである)という登場人物(神様?)の語る海底の八幡宮のイメージは、きわめて新鮮である。世界遺産である厳島神社は、海上に浮かぶ朱の鳥居と本殿が鮮やかだが、それをそっくり海底に逆さまに映し出したような趣のイメージだ。イソラ、山幸彦、隼人(の守護神)などの「天孫」族との戦いに敗れ、海の底に沈められたような神々の声が、雄々しく、あるいは女々しく響いてくる。「応神八幡」、すなわち「天孫」族との闘争心は、果敢であり、激越なものが作品世界の中に漲っている。

 「八幡信仰については資料とまるで異なる読み筋や学術的でない造語がふくまれている」と作者自身は断りを入れているが、そもそも八幡信仰についてのテキストは、託宣集も含めてどれが正統的か判断を下せるようなものではなく、石川淳の「八幡縁起」の石神信仰の起源も含めて、可塑的、過渡的なものにほかならない。「海底八幡宮」は、「応神八幡」に収斂させてゆこうとする、現今の八幡宮の神社神道と、それを擁護する国家神道の野望に対する、激しい抵抗と反抗の姿勢によって際立っているのである。

普段のクールさと打ってかわって、こちらにも興奮が伝わってくる文章です。
「八幡神」を切り口にした解説で、「亜知海」と金毘羅の対話を分かりやすくまとめています。
さっぱりだった神話の部分を理解する手がかりになるかも。
海中に映し出された厳島神社…ロマンチックで美しいですね。
そして「新潮」源氏物語特集と佐川光晴「われらの時代」を紹介しています。

 こうした神話や物語に対する笙野頼子の挑戦的な踏み込みに比べると、『新潮』で特集されている源氏物語千年紀記念に対応したと思われる六人の作家による『源氏物語』の「新訳・超訳」の試みは、結果的に微温的なものになってしまったと思わざるをえない。

これは手厳しいであります~。
毎回作風をがらりと変えるような冒険作家と比較するのはあまりに気の毒かと。



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