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『だいにっほん、ろりりべしんでけ録』あらすじ

(一){金毘羅の頭に蛇が三匹生えていた。 フォイエルバッハ『キリスト教の本質』を読んだからだ。 その影響で翌日天川弁財天と習合していたのだ。 蛇たちは「信号国際救助隊弁財天ナノレンジャー」という。 緑の蛇は、グリーンスネーク。桃木跳蛇(20代後半『レストレス・ドリーム』)だ。 赤の蛇は、撃退レッドスネーク。沢野千本(30代『二百回忌』)、 冷静イエロースネークはもちろん八百木千本(40代『説教師カニバットと百人の美女』等)という。 さらに体内には、みたこ天国がある。 それは『ドイツイデオロギー』を再読し、おんたこがみたこを乗っ取るのを目撃したことから始まった。 (二)フォイエルバッハテーゼにおけるマルクスのおんたこ化をみた金比羅は、 『ドイツイデオロギー』におんたこウィルスがついており、トロイの木馬のようにウィルス広がったのだと確信する。 判った以上実験をつづける必要はないと、みたこ救済にレンジャーを出動させる。 しかし八百木千本とは連絡がつかない。 一階におりると台所の床に分魂が生えている(『萌神分魂譜』)。なぜか野之百合子の姿に変化し空へ飛んでいってしまう。 (三)沢野千本は駅と広場をまわり調べる。 百合子コスプレ男達に聞いてもおんたこな発言ばかりで話が通じない。 桃木跳蛇と相談している時、突然天使たちが大量に押し掛け桃木の翼と習合する。2人とも超ビビる。 (四)八百木千本がようやく意識をとりもどす。 ウラミズモの病院にいた八百木は金毘羅と連絡をとりあう。 一方、広場ではみたこ復活祭は教祖・百合子が降臨せず延期になっている。 死者たちがいる沼際は荒れ始める。生者が死者をいじめ、死者がゾンビ化し人々を襲いはじめた。 そんな中みたこ復活祭がようやく開かれる。 沢野はユーカリが丘のループ状路線に乗り、回り続けている。 桃木は駅前のスタジオでドラムを叩く。 火星人少女(といっても18才)いぶきは火星人遊郭で殺された時のことを語りはじめる。火星人落語の語りで。 職員として面接したいぶきは、なぜか「卒業式」中の孤高愚弄之介に対面、気に入られたいぶきは美緒里の部屋で過ごすことになる。 ��日目に顔が光る顔がない臭い自称王子様に絞殺され、気付くと美少女に変成していた。 おんたこ達は死者の観察実験をしていたのだ。 「死者の変形はスーツ代がかからず、しかも少女で死んだものは年を取ら

笙野頼子「九条越え前夜と火星人少女遊廓の誕生」

「論座」2008年6月号に掲載された短編。 頭に生えた4匹の蛇と金毘羅さんの微笑ましい生活と、 孤高愚弄之助の子「多幸愚留之助」誕生秘話(笙野頼子著)、 実録「火星人少女遊廓の起源とその歴史」(八百木千本著)が書かれている。 「いかふぇみうんざり考」は「9条超え」をテーマにした護憲派から改憲派になる論畜の話もあると対談にあったが、「九条越え前夜」はその前夜祭的な話。 死にかけている孤高愚弄之助を物干炉理竹が捨てよう・でも捨てられないと困っていた。 困った物干炉を「救う」ために孤高は「多幸愚留之助」を作ることを提案する。 「悲願ノ九条を越えさせ」る大物に育ててほしいと。 ようするにタコグルメは孤高の代わりに作られたのだった。 ここでは、おんたこの生みの親、物干炉理竹の人格があきらかになる。 快楽のためにいくらでも他者を殺す自己チューな性格がこれでもかと描かれている。 実録「火星人少女遊廓の起源とその歴史」では、火星人遊郭は、三次元着ぐるみを着せた少女を虐待する場所だとわかる。 三次元着ぐるみをCGだアニメだ二次元だといって「合法化」したのだ。 その理屈付けがだいにっほん精神分析の全部で、その権威が等間舵郎。 三つに共通するキーワードは、ラカンと欲望。 ラカンは全く知らないのでウィキペディアをみてみた。 彼はセミナーで講義する人で、出した本は一冊だけ(しかも超難解)。 それ以外のラカン本は二次資料、他者のフィルターを通したラカンだ。 ということは、ラカン使いorラカンヲタをテーマとしているのかも。 そこまでは分かった。でも後はよく分からない。 ま・いいや、面白かったし。 キーボードをとりあうナノレンジャーはじゃれあう猫みたいでかわいいし。 あ、火星人少女遊廓はポルノはガス抜きという欺瞞・児童ポルノ法案の反論の変さを形にしたものなのかも。 私的には児童ポルノ法案の反論にはもやもやとした違和感を形にしてくれてスッキリ。 反論には被害者救済の視点がないんよ。自分のために反論しているだけ。 肝要なのは被害者を作らないために何をするべきかだ。まずそのためだけに知恵を絞るべき。 話がそれた。今回の好きなフレーズ。 「 生き生きと流れる生命の噴出は君のものに! 」@金毘羅 生命の噴出って…、排便だよね。ああ排便がこんな美しい表現になるとは。 「 人は諦念すると自己放棄しそこから分析を

「ブックデザイン ミルキィ流」05月21日発売

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ミルキィ・イソベ氏の装幀本が05月21日発売をmixi で知りました。 「 ブックデザイン ミルキィ流 」( セブン&ワイ ) B5変型判の大きめサイズで288ページ 3,990円!フルカラー??? サンプル画像では「だいにっほん、おんたこめいわく史」の装幀を紹介している。 装幀のイメージや作品へのアプローチなどが解説されているのだ。 知りたい!ミルキィ・イソベ氏がどんな風に読んでデザインしたのか知りたい! 他の笙野作品も紹介しているとうれしいなー。 笙野作品以外の装幀を見られるのも楽しみ。 これを機会にさがしてみたい。 ミルキィ・イソベ氏所属する「ステュディオ・パラボリカ」のサイトでこんなコメントが。 今、出版は問題を積載したままよたよたと走っている。一方では儲ければいいじゃん、という乱暴な出版もまかり通っている。 装幀家・菊池信義氏も毎日新聞で警鐘をならしていたし、佐藤亜紀氏も「 恐ろしい話を聞いて 」おられる。 そんなにやばいのですか、出版業界は。

『論座』2008年6月号笙野頼子エッセイ

『論座』2008年6月号エッセイ「三里塚、チベット、ネグリ、ドゥルーズ」をアップしました。  論争本2冊、批判14年、雑誌を追放されてまでやってきた私の「売り上げ文学論批判」がある日、「文学史から消えた」。敵方の売れない文化はだめだ、という「問題提起」だけが取り上げられ「過去に江藤淳がこう言った」という死者からの引用が「反論」に替えられ、生者の戦いは削除された。そんな新書を書いたのはある新聞記者だ。私か戦おうとすると、必ず「あなたは大きい存在ですから」と言って小物を相手にしないようにと説得した相手。ひどい事が起こると「くだらないからいやで」と報道しなかった。実は私のインタビューにある、ポパーの好きな記者の同僚である。 その新書とは、尾崎真理子著『 現代日本の小説 』(ちくまプリマー新書)ではないだろうか? 「三田文学」2008年春季号の表紙に笙野頼子のタイトル載せなかった問題。その時、論敵の目上である編集長はまず「スペースがない」として私のつけた副題を取らせた。が、再校で勝手に都合良い副題を付け(あまりひどいので3字だけ変えて貰った)、さらには断りなしにその勝手な副題の方で広告宣伝を出し、雑誌の表紙にもその題を載せた。 なんと、「徹底検証!前号田中怪文書の謎」に副題があったのだ。そして編集長は副題をとった。 これは「笙野頼子氏のタイトル表記について」では触れていない新事実。 タイトルを削った経緯が変わるじゃないか。 編集長 タイトルの副題を取る 編集長 タイトルに「田中和生「笙野頼子氏に尋ねる」に答える」を入れて欲しい 笙野氏 「田中和生「笙野頼子氏に尋ねる」を読んで 徹底検証!前号田中怪文書の謎」 雑誌作成の最終段階で表紙のタイトルから「徹底検証!前号田中怪文書」を削る(編集部考案のタイトルだけになる) 広告・公式サイトのタイトルが「田中和生「笙野頼子氏に尋ねる」を読んで」になる ますます計画的犯行に見えてきた。

松浦桃「セカイと私とロリータファッション」

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「わたしたちに素敵なお洋服を!」 ロリータファッションとそれを愛好する人達を解説した良著、 松浦桃「 セカイと私とロリータファッション 」。 ロリータファッションのなりたちと歴史、発生した状況と思想の分析。 なぜロリータを選ぶのか、ロリータの楽しみ方、愛好者のインタビューなどなど総合的にロリータを論じている。 そして、子供を受け入れない社会、男性優位の抑圧的な社会へ鋭く批判する。 私たちは、日常生活を支配するさまざまな政治力から自由になりたくて、ロリータという祝祭を求めている。p185 女たちを切り刻もうとする親たちの欲求や男性の目、偏差値と闘う日々のなかで、「私は自分の理想のイメージと合致する私なのだ」という安心感が少女たちのもっとも強い味方になっているのである。p193 そうか、ロリータファッションとは、生きづらい社会から私を守るお洋服だったのか。 私が性的な視線がいやで大好きなジーンズをはくように、彼女たちはお洋服を着る。 全く違う服を着ても似てる。でも私は自分のためだけにファッションを楽しんだことはない。 もっと装うことを楽しんでみたくなった。 ロリータファッションの女性達の写真も豊富に掲載されている。 彼女たちのたのしそうな笑顔といったら!こちらまでたのしい気分になれる。 下着のレースすら嫌な私でさえ、ロリータ着てみたいかもと思ってしまった。 表紙のグレーのワンピースが一番好きだなと思っていたら、作者の持ち物だったよう。 作者のサイト Riddle Linda に写真集がのっていた。どれもかわいいのう。 彼女たちの悩みは、いつロリータを卒業するかだという。 私は卒業しなくていいと思う。だって林家パー子はいつまでもピンクだ。 少女とは勝手な生き物だから、永遠にロリータでいいんじゃない?