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群像7月号笙野頼子「会いに行ってーー静流藤娘紀行」第2回掲載

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6月7日発売の「群像」2019年7月号に笙野頼子さんの連作小説「会いに行ってーー静流藤娘紀行」第二回が掲載。18ページ。
(初回はこちら:群像5月号新連作「会いに行ってーー静流藤娘紀行」開始

私小説を徹底し新境地を開いた小説家・藤枝静男をテーマにした「論考とは違う、引用小説」第二回。
藤枝氏といえば、群像新人賞選考で笙野デビュー作「極楽」を激推しした方として(ファンに)お馴染み。
とはいえリアル藤枝静男とは違いますよ、と最初にバシッと断りが書いてあります。
 真っ暗だった自分の人生を変えてくれた彼との関わり、たった一度対面した記憶、その後今まで自作に受けた影響、彼に関する自分側の妄想空想等、等、つまり所詮は自分の私的内面に発生した彼の幻を追いかけていく小説、の第二回である。
要するにここに出てくる師匠とは、私の思考や記憶の中で捏造され、彼の残した作品、遺品、書、コレクション、エピソードの中から生まれ出た架空の人間像に過ぎないのである。以前から師匠の小説を書くと仰られてましたが、それは荒神シリーズの後の予定だったような。
なぜ今書く事になったのでしょうか。
実は過去に藤枝静男について書かないかと依頼された事があり、その時は断ったそう。
七十過ぎてから書くと答えた。ことに、当時は、先行する評論家に恥じないものを書かなければならないと思い込んでいたから、何もできなかった。しかも老にして雄ならば、性別はともかく、せめて師匠の老が判る年齢になるまでは待とうと思ったのだ。ところが五十六歳の二月、自分がそういう平均的な老化を辿れる体ではない事を思い知らされた。
(略)
病名が付いて納得したのはこの病と一生使うしかない薬の作用で、自分が人より早く老けていくしかないということであった。ならばもう七十だと思って書いてみよう、となった。
なるほど。前々から執筆を期待されていたのですね。

天皇の退位に伴い5月から令和に元号が変わりましたが、2回目は改元と天皇の話。「志賀直哉・天皇・中野重治」をテーマにしています。
金井美恵子さんが改元エッセイに藤枝静男の文芸時評を引用されていましたが、そちらも論じつつ
つまりかつて師匠の危惧した人間天皇のあり方や天皇の発言への怒りを引用していく。天皇の発言とは何かというと、
「藤枝静男─年譜・著作年表」のコラムで、その東京新聞の時評の冒頭が引用されています。

赤旗4/29(月)に多和田葉子&笙野頼子対談記事

しんぶん赤旗2019年4月29日(月)1面と5面に対談シリーズ「さあ、文学で戦争を止めよう」が掲載。
第3弾は、多和田葉子さん!5面ぜんぶ対談\(^^)/
第1弾 2018/08/17 木村紅美さん
第2弾 2019/01/07 島本理生さん
第3弾 2019/04/29 多和田葉子さん
笙野頼子さんの対談シリーズは、季節ごとに発表される感じになってきました。

全米図書館賞を受賞した多和田葉子『献灯使』の紹介から始まり、多和田さんの、丁寧な生活にこだわる日本がなぜ原発を容認するのかという疑問から、原発の話に。笙野 メルケル首相は保守党で、もとは原発推進派。でも止めるとなったら止める!
一方、自己の責任国なのに日本は再稼働を求めて嘘を重ねています。

多和田 メルケルは物理学者です。ドイツの物理学は人間の実生活に根差しているのではないかと思います。日本では自然科学は生活から切り離されていて、セシウムとかプルトニウムとか言っても、味も匂いもしないし、考えなければ無いものとして忘れることができてしまうんでしょう。

笙野 自然科学という以前に、黙殺と同調圧力の社会なので。そもそも日本は原発が止まっても電力がまかなえた。電力が足りなくなると脅して、民を搾り取り、危険にさらし、弱者から収奪することしか考えていなかった。ドイツでは企業が献金や広告料によって政府やマスコミに影響を与えることはないんですか?

多和田 メルケルが反原発を言い出した時は国民の圧倒的な支持を得たので、企業の後押しなど必要なかったと言われています。ドイツの企業も将来性のない分野にしがみつくような愚かなことはしません。例えばシーメンスは政府が脱原発を決定してすぐ、原発部門をフランスの企業に売って、再生エネルギー分野の開発に切り替えました。ただ隣の国に原発があることは大きな問題です。

笙野 アメリカのGEも原発事業から撤退しました。多くの国民が反対してるのに、日本がずるずると原発にしがみついてるのは、狭いお仲間の短期的な利権のためだけですかね。

多和田 原発事故によって、もともと日本が抱えてきた問題が明るみに出たと思うんです。国の経済さえ発展すればそのために病気になる人が出ても仕方がないと思わされていたり、一応民主主義があるのにみんなの意見が政治に全く反映されない感触があったり、自分の意見をはっきり言えない雰囲気が強くなっ…

岐阜新聞4/27(土)阿部公彦の文芸時評に笙野頼子「会いに行って」

阿部公彦さんの文芸時評「あなたの生活に文学を」の4月分が共同通信より配信されました。
岐阜新聞2019年4月27日(土)に掲載、笙野頼子「会いに行ってーー静流藤娘紀行」(「群像」2019年5月号)が取り上げられていました。
「群像」(5月号)では笙野頼子さんの連作「会いに行って」の連載が始まりました。冒頭に「これから私の師匠説を書く」とのあやしい小見出し。笙野さんが勝手に師匠と仰ぐ藤枝静男は独特な作風で知られ、志賀直哉的な私小説の主流からは外れた人でした。本作も日常生活やデビュー時の記憶、病との苦闘などを柱にしつつ、自身を引き立ててくれた藤枝静男について語るうちに声がうわずり、直の”呼びかけ”が割り込むというぐしゃぐしゃした構造です。
逸脱だらけの奇妙な作品にも見えますが、制御をやぶって叫びのように発せられる声にはなかなかのインパクトがあります。
たまたま「群像」には保坂和志さんと郡司ペギオ幸夫さんの対談「芸術を憧れる哲学」も。話題になった郡司さんの「天然知能」(講談社選書メチエ)を、保坂さんは「自分のやっていることが完全な自分の能動性ではない」とわかっている人たちが描かれていると評します。文学作品の「声」も、しばしば「自分の能動性」を超えたところから出てくるのでしょう。なるほど。藤枝静男の追求した百錬の文章、「自分の能動性」を超えた何か、それが表現されているのかもしれませんね。その見方は全く気づいていませんでした。
あわせて共同通信の時評、バックナンバー(4月分)をアップします。作品は古谷田奈月さん「神前酔狂宴」(「文藝」)、佐伯一麦さん『山海記』(講談社)、笙野頼子さん「会いに行って」(「群像」)、保坂和志さん×郡司ペギオ幸夫さん対談(同)、奥野沙世子さん「逃げ水は街の血潮」(「文学界」) pic.twitter.com/V4Pssfwb3l— 阿部公彦 (@jumping5555) 2019年6月2日

藤枝静男といえば、朝日新聞5月2日(木)の金井美恵子さんの寄稿に引用されていました。
「戦前と戦後に不自然に二分されている昭和天皇の「天皇の生まれてはじめての記者会見というテレビ番組」(昭和五十年)を見た小説家の藤枝静男は「文芸時評」に「実に形容しようもない天皇個人への怒りを感じた。」と書き、それは、戦争責任について質問された昭和天皇が、そういった文学的問題はわか…

笙野頼子三冠集「なにもしてない」著書コメントが

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twitterアカウント河出文庫さんが「改元が近づいてきたので笙野頼子「なにもしてない」を再読」されたら、笙野頼子さんより「なにもしてない」へのコメントが寄せられたそうです。天皇とはだれか?年号とは何か?令和の始まる前にするべき復習。これはひとりの「自称作家」が書き残した新しい時代の始まりと称する嘘。市井をおおう虚構の「全記録」である。過激派を恐れ撤去されたゴミ箱。一瞬垣間見た皇室とそのレポーター。すりこまれた神道の夢の中を漂いつつ、「時代のリセット」にかぶれながら、ひたすら湿疹をこじらせる主人公の地味さと無能さと無名さを描いた。渡部直巳が酷評した無名作家時代の私はこれを書いていた。身辺雑記としては「無難すぎる」けれどこれは、年号小説である。芸能レポーターたちは忘れられた。小説は残った。さらに承前、笙野頼子さんより「なにもしてない」へのコメントが届きました!→“天皇とはだれか?年号とは何か?令和の始まる前にするべき復習。これはひとりの「自称作家」が書き残した新しい時代の始まりと称する嘘。市井をおおう虚構の「全記録」である。”(続)— 河出文庫 (@kawade_bunko) 2019年4月19日

石川県金沢市の石川四高記念文化交流館にて企画展「平成をうつす」の展示が始まっています。こちらで笙野頼子「幽界森娘異聞」の著者自筆校正入りゲラが展示されているそうです。
期間は4月20日(土)~6月23日(日)です。金沢か…ちょっと遠いな…。
企画展「平成をうつす」では当館の大切な資料も展示致しています。【主な展示資料】「孔子」「本覚坊遺文」初稿 井上靖/自筆歌軸(平成4年宮中歌会始召人和歌) 長沢美津/自筆原稿「小暗い森」 加賀乙彦。珍しいのは笙野頼子自筆校正入りゲラ「幽界森娘異聞」(泉鏡花文学賞受賞作)(知— 石川近代文学館 (@ishikinbun) 2019年4月24日

群像5月号新連作「会いに行ってーー静流藤娘紀行」開始

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4月5日発売の「群像」2019年5月号に笙野頼子さんの連作小説「会いに行ってーー静流藤娘紀行」が掲載されています。24ページ。
私小説を徹底し新境地を開いた小説家・藤枝静男について、笙野さんが「自説、私説の、私師匠説」を書かれています。
藤枝氏といえば、群像新人賞選考でデビュー作「極楽」を激推しされた方として(ファンに)お馴染み。
その師匠の経歴・人となりや交友関係を前半で描き、後半の師匠へのお手紙では作風について熱く語ります。
娘さんと共に昨年春、浜松市文芸館で近代文学の展示をご覧になったお話も。
兎にも角にも、師匠に対する尊敬と畏怖に心打たれます。心洗われます。

馬場秀和ブログに感想が掲載されています。
『会いに行って――静流藤娘紀行』(笙野頼子)(『群像』2019年5月号掲載)
以前から藤枝静男を書きたいと仰ってました。最近のエッセイにも書くと触れられてましたよね。

東條慎生さんはTwitterにも感想が。
藤枝静男の「文章」から、強いられた構造を脱け出ようとする技法を、語り手自身との類似点と相違点を検討しながらたどろうとする試み、か。
抑圧の構造を相対化し自由になるのは笙野さんの手法ですし、構造から自由になろうとする点は二人に共通していますね。


第1章「これから私の師匠説を書く」では、まずどんな小説なのか、最初に結論が書いてあります。
これは引用に基づいた小説である。私はまず畏怖とともにある引用をし、それを小説化する。引用の内容は、瀧井孝作氏に私小説を書いてみよと言われたが、ありのままに嘘なく書くべき「自分」などないから「私はこれから私の「私小説」を書いてみたいと思う」という宣言。
笙野さんも「私はこれから私の「私小説」を書いてみたいと思う」、もとい「自説、私説の、私師匠説」を書くという。
その師匠・藤枝静男とはどんな方なのでしょう。
そして師匠は、勝手にいうけれど、志賀直哉門下においてもっとも私小説を極めた、この形式の領土を広げた、真に開拓した、それによって中央集権的な構造を抜け、自分の愛する故郷を王国にし、自分の魂であるわが庭の池をひとつの宇宙にまでした、傑出である、その作品の最頂点というべきものは、『田紳有楽』である。その『田紳有楽』の紹介はこちらを参照。某書店から選書を頼まれて選んだ一冊、藤枝静男『田紳有楽』(講談社文芸文庫)。本棚から取り出すと、…

『蒼生2019』特集「あなたとして生きる」インタビュー餅井アンナの感想

『蒼生2019』の感想をメモ。裏表紙が表紙を反転させたデザイン、可愛い。
特集「あなたとして生きる」
開発ユニットAR三兄弟の川田十夢さんインタビュー。
笑うって分かるってことで、分からないものに笑わないんですよ人は。なるほど。確かに全く理解できないものを面白いとは思えません。
笑いを取れればツカミOK的な。私のブログもそう言う風にわかりやすく書きたいものです。

早稲田大学文芸・ジャーナリズム論系出身ライター餅井アンナさんのインタビュー。
大学に入るまで挫折もなくマジョリティとして生きてきて、疎外感を感じたことがなかったというのが面白い。
ーー自分の個性や好きなものを強みとして何かを書いていると、「個性的でなければならない」という義務感に囚われてしまったりしませんか。

餅井 ありますね。今はだいぶ抜けてきたんですけど。それこそ文ジャ的な気風として、過激な方向というか、エクストリームに走らなきゃいけない空気があるじゃないですか。実際、在学中の私もそれに乗っかっていたと思うし。私が学生だった時って、SNSとかで「承認欲求」って言葉がすごく流行っていた時期で。例えば、性癖が安定していないとか、コンテンツとして消費しやすいですよね。それが当人にとってコンプレックスだったりするとなおさらその空気に乗っかってしまうというか、私も当時は必要以上に自虐していました。でも、それってやらないほうが良かったことだなって今は思うし、今目の前にやってる人がいたら「やめなよ」って言いたくなる。わかる。自虐は止めたくなる。見てても楽しくないしね。むしろ褒めあう方が幸せ感高くて好きだな。
歳を重ねると自分の長所や短所も自然と濃くなるもので、今思えば「個性的でなければ」とある必要なかった気もします。
餅井 早稲田のハラスメント問題については、正直なところニュースを見ても全然びっくりはしませんでした。とうとうか、みたいな感じで。在学中も「あの人はああいう人だからしょうがない、うまく受け流さないとね」って自分も含めてみんな言っていた。なあなあにしてしまっていたんですよね。そんな空気が保たれていた中で、実際に進路を絶たれた人が出てきてしまって……。私個人の実感としては、「みんなうっすら共犯」じゃないですけど、一点の曇りもなく、潔白な状態で「そんなことがあったんですか、ひどいですね」って言える人って、あの場所には…

『蒼生2019』特集「文学とハラスメント」に笙野頼子「これ?二〇一九年蒼生の解説です」掲載(3)

早稲田大学文芸・ジャーナリズム論系の学生誌『蒼生2019』の特集「文学とハラスメント」に、笙野頼子「これ?二〇一九年蒼生の解説です」が掲載です。
特集についてはこちらの記事を参照ください
この記事では、エッセイの内容を紹介していきます。
一月の下旬、K君という早稲田大学の知らない学生から、「蒼生」という雑誌のインタビューを依頼された。それは学生の創作をメインにした一年に一冊の、つまり卒業記念的な雑誌なのだが、彼ら学生はこれを、後期の実践的な授業のなかで制作するそうだ。卒業記念的だけ違っていて、大学2年生から4年生が授業で「蒼生」を作る授業だそうです。
他は誰が出演するかと聞くと「宮崎駿」、
インタビューは「発注一月十九日仕上げ節分二月三日、ゲラ二回見る」、数日後に発注という急な話。
お断りしようとすると、本当の特集は「文学とハラスメント」だという。
「私達学生は渡部直己教授のセクハラ告発をするべきだと思いました。すると市川先生と北原先生からありとあらゆる妨害を受けました。僕は今自分もハラスメントの被害者だと感じています。この批判を終えるまでは卒業しません」
「セクハラを許せない。渡部氏だけではない。ある女性教員は 被害者に味方したり学生が嫌な目にあわないように注意喚起をし、相談に乗ってくれてもいた。市川先生はそれをいなしに行き、ほどほどにしろと牽制したんです」依頼主は、早稲田大学の渡部セクハラ事件を特集しようとしたが、できなかった。
代わりにそのハラスメントの批判特集を作るという。その話を聞いて…。
 私はさまざまな事を思い出した。――市川君、もし君がこの 特集の私の原稿をボツにしたら君は、この生涯で私に三度、言論統制をかけたことになるね?あの時、「柄谷行人」と私は書けなかった。「日本近代文学の起源」とも君は書かせなかった。


書くべきことを書かせない、ことに個人名を書かせない。この学生たちの必然的受難、それは「私が来た道」なのであった。 むろん、別に私の戦った相手は市川君だけではない。長きに渡る論争経験とその論争媒体における言論統制との戦い。私はその細い道を歩いてきて、やがてこの国が辿る大道を知った。

文壇における言論統制、それこそ戦争への道なのである。純文学における「タフなカナリア」と私は年来呼ばれてきた。

文学は自由に書け、例えそれが政治的テーマであっても、そ…