『論座』2008年6月号笙野頼子エッセイ
『論座』2008年6月号エッセイ「三里塚、チベット、ネグリ、ドゥルーズ」をアップしました。
論争本2冊、批判14年、雑誌を追放されてまでやってきた私の「売り上げ文学論批判」がある日、「文学史から消えた」。敵方の売れない文化はだめだ、という「問題提起」だけが取り上げられ「過去に江藤淳がこう言った」という死者からの引用が「反論」に替えられ、生者の戦いは削除された。そんな新書を書いたのはある新聞記者だ。私か戦おうとすると、必ず「あなたは大きい存在ですから」と言って小物を相手にしないようにと説得した相手。ひどい事が起こると「くだらないからいやで」と報道しなかった。実は私のインタビューにある、ポパーの好きな記者の同僚である。
その新書とは、尾崎真理子著『現代日本の小説』(ちくまプリマー新書)ではないだろうか?
「三田文学」2008年春季号の表紙に笙野頼子のタイトル載せなかった問題。その時、論敵の目上である編集長はまず「スペースがない」として私のつけた副題を取らせた。が、再校で勝手に都合良い副題を付け(あまりひどいので3字だけ変えて貰った)、さらには断りなしにその勝手な副題の方で広告宣伝を出し、雑誌の表紙にもその題を載せた。
なんと、「徹底検証!前号田中怪文書の謎」に副題があったのだ。そして編集長は副題をとった。
これは「笙野頼子氏のタイトル表記について」では触れていない新事実。
タイトルを削った経緯が変わるじゃないか。
- 編集長 タイトルの副題を取る
- 編集長 タイトルに「田中和生「笙野頼子氏に尋ねる」に答える」を入れて欲しい
- 笙野氏 「田中和生「笙野頼子氏に尋ねる」を読んで 徹底検証!前号田中怪文書の謎」
- 雑誌作成の最終段階で表紙のタイトルから「徹底検証!前号田中怪文書」を削る(編集部考案のタイトルだけになる)
- 広告・公式サイトのタイトルが「田中和生「笙野頼子氏に尋ねる」を読んで」になる
ますます計画的犯行に見えてきた。