講談社PR誌「本」7月号にエッセイ「「会いに行って」書いた」掲載

講談社のPR誌「本」2020年7月号に、笙野頼子さんのエッセイ「「会いに行って」書いた」が掲載されています。見開き2ページ。
(追記)
講談社BOOK倶楽部の今日のおすすめ(7/11)で、エッセイ全文が公開されました。

6/16に出たばかりの新刊、藤枝静男の私小説を語る私小説『会いに行って 静流藤娘紀行』について語ってます。タイトルの短さがすでに藤枝風。
内容もいつもの「「Let me entertain you」のサービス精神を忘れない書きぶり」(byブレイディみかこさん)とは、出だしから違います。
 この大切な記憶を何度書き直しても、或いは何度語っても所詮現実ではこう言うしかない。彼には「一度しか会っていない」、二度目に会いに行った時、私の、心の師匠はもういなかった。お骨になっていた。お葬式の日の藤枝の緑は濃く、浜松の空は高く澄んで青く明るかった。用宗の海も澄んで青く、色は淡いけれどこれは銀色を浮かべ、光を飲み干したブルーだった。私はこの輝く青と青に吸い取られた。
 五十海の岳叟寺にたどり着いて、お骨になったその姿をみた時、私の号泣は始まってしまった。まさか自分がこんなに泣くとは思っ ていなかった。でもどうしても、のどがまっぷたつになった。つまり生涯、これは忘れられないこと。彼は昔、私のために号泣してくれたのだ。その思い掛けぬ擁護が、私の人生を変えた。
群像新人文学賞で彼が激賞し論争し号泣してくれたこと、作者を「五十代の男性」と思い込んでいたこと、師匠に見出された事が何度も助けになったこと。十年後やっと本がでた時には入院され、会うことは迷惑になっていたことなど綴られていきます。
そしてやっと会いに行ったら、......
 儀式が終わると泣きながら帰りの電車に乗った。藤枝駅から浜松駅まで来た時泣き止んでいた。独特の青い空を貪るように見た。
 あの日泣いていると全身からありもしない彼の記憶が生まれて 「蘇え」った。彼のいた風景、湿度、知っている人々や代々のお寺、 海、空、山、大木、大地、仏像、その土地の精霊、それらをすべて 私は受け取って帰った。しかも本当に「会ってきた」感触がどこかにあった。今思えば上の、病院を継いだお嬢さんが師匠とそっくりだった。外科医的で理知的な大きい黒目、意志が強そうなのにぷるんとした唇。私は師匠を内蔵する彼女に会ってきたのだ。
本人に会えなくとも、師匠を形作り、師匠内蔵する人達に会いに行った、会ってきた。
 彼とは何だろう、それは彼の育った土地であり、身体そのものであり、彼が学生時代からその元に通った志賀直哉との濃密な時間であり、平野謙、本多秋五との熱き友情であり、父母、兄弟姉妹、妻、二人の娘であった。さらには「ご近所の作家」小川国夫、「最良の読者」埴谷雄高、地元静岡の眼科医であった彼を信頼して、一日四百人押しかけた患者達や、藤枝文学舎を育てる会の人々のような、彼が会ったすべての人間であった。彼はそのような他者によって形成され私小説を書いた。目の前にあるものを逃さず、逃げなかった。誰よりも自分自身に厳しかった。本当は緩く優しい自分をいましめながら、心にいつもすべての宇宙を内蔵した。それ故、小説内の金魚も茶碗も、竜も河童も、いきなり人間の顔をして語りはじめるのだ。リアリズムの完璧な小説から始めたもの、それは幻想小説とは来歴の異なる彼の内的真実であり、けして細部の正確さと温度を失わぬ「私小説」であった。
目の前の現実から目を逸らさず、内的真実を描く。笙野頼子さんと同じだー、まさに師匠と弟子。
この随筆そのものが内容紹介になっています。
コピーして新刊に挟んでおこうっと。
(にしても患者を四百人も見るなんて、人気の医者はハードワーク…。)

このブログの人気の投稿

『蒼生2019』特集「文学とハラスメント」に笙野頼子「これ?二〇一九年蒼生の解説です」掲載(2)

更新停止のお知らせ

新刊「笙野頼子○○小説集」予約