群像9月号に『会いに行って』書評 吉田知子「悲しいだけ」掲載

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群像2020年9月号に、吉田知子さんの笙野頼子『会いに行って 静流藤娘紀行』の書評「悲しいだけ」が掲載されています。
吉田知子さんといえば、『会いに行って 静流藤娘紀行』にお名前が何度も登場されています。
ところで、……吉田知子さんが同人誌「バル」を送ってくださった。「群像」読者ならばご存知のはずだが、浜松出身で師匠と親交があり、師匠に見いだされた作家である。彼女の作品を私はどれも好きで特に代表作の中では『お供え』が好きだ。「バル」には吉田さんの他に清水良典さんが随筆を書いている。p85
師匠、師匠、師匠の生まれた地と育った地の濃い光強い緑、けして水割りではない強い空気、それはたった何回か行っただけでも、私を変えました。用宗の海も、五十海の湿度も、師匠のお家のお庭の紅葉のあり方までとても、心に皮膚に、残りました、なので、その上で言いますよ、地方とは何か?それはけして東京の道具、中央の搾取対象、などではない。物事の本質である大切な細部、器官なき身体の飛び跳ね回るところである、だからこそそこには、吉田知子がいて、小川国夫が育ち、その特異な小説を群生させたのか。p179
このように藤枝静男とご縁の深い方が書評を書いてくださるとは。

冒頭は藤枝氏の病院から始まります。
昭和二十年代、待合室も診療室も人でごった返していたと。二、三ヶ月に一度、病院で昼休みにお会いしていたとか。
芥川賞受賞された時のこと、浜松にきた編集者や作家をもてなすため氏に何度も呼び出された話や、氏のお気に入りの壺や書「観玄虚」を頂いた話も。
去年手紙や写真を整理したら氏と一緒の写真が百枚以上あったこと。 夫婦で藤枝邸でご馳走になったり、家に氏が来られたりしていたと。
こうやっていろいろ書き、笙野さんの本を読み返し、その間中、ずっともやもやした心持ちがあった。それは何かというと藤枝さんのことをこんなに大事に思ってもらって本当にありがたいという気持ちである。私がいうのは変に決まっているが、どうしても言いたい。おそらく身内意識なのだろう。弟子でも師匠でもなく文学関係でもない。身内。そうだとすると、何かというたびこちらの都合お構いなしで呼び出されたのも納得できるのだ。身内だから当然だったのだ
 藤枝さんが亡くなって寂しい。もう呼び出されることはない。悲しい。
弟子でもなく身内。藤枝ファミリーの一員になっていたのですね。
師匠は今も愛されてる、愛され続けてる。出てくるエピソードが面白くて笑っていたのに、なぜか目頭が熱くなってきた…。


それにしても、新築祝いに藤枝さんが高名なスペイン画家の2m級の絵を持ってきた話、笑えます。2mって美術館に出展するサイズ。お気に入りの壺を取られた仕返しでは…(画家ってまさかピカソじゃないよね…)。
「観玄虚」は『会いに行って 静流藤娘紀行』のこの辺からきているのでしょうか。
その上で、同じその日にお嬢さんから伺った談話やその内容は当然として、その他に、彼女のやはりきっぱりして外科っぽいさわやかな声も資料に思え、何よりもご自宅で「この墨を私が磨っておりました(観玄虚の額、その時期を確かめてみたら家にあるHさんから頂いた色紙とごく近い頃だった)」と仰るその存在自体が重要資料だと、要するに、……。p71
要するに、この書評もまた重要資料となりそうな。

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