群像11月号笙野頼子「会いに行ってーー静流藤娘紀行」第4回掲載

群像 2019年 11 月号 [雑誌]
10/7発売「群像」2019年11月号に笙野頼子さんの連作小説「会いに行ってーー静流藤娘紀行」第4回が掲載されています。
群像公式サイトのもくじ
もう発売されているので、要チェックですよ!
過去作を並べてみると、2ヶ月毎の連作になっていますね。
・第1回:群像5月号新連作「会いに行ってーー静流藤娘紀行」開始
・第2回:群像7月号笙野頼子「会いに行ってーー静流藤娘紀行」第2回掲載
・第3回:群像9月号笙野頼子「会いに行ってーー静流藤娘紀行」第3回掲載
・第5回:群像12月号笙野頼子「会いに行ってーー静流藤娘紀行」完結

私小説を徹底し新境地を開いた小説家・藤枝静男をテーマにした「論考とは違う、引用小説」第4回。
藤枝氏といえば、群像新人賞選考で笙野デビュー作「極楽」を激推した師匠的存在として(ファンに)お馴染みです。
4回目でついに代表作『田紳有楽』をメインに師匠の文学的自我を読み解いていきます。
 判っている、私は知らない人に対してただ空想しているだけ。
それでも、例えば方向音痴とか肉体のきつさとか、そういうエーケル方面、そして何というかリアルリアリズムがどうもやってられんが決して現実から逃げているわけではないのだよ、という実感においてだけ、つまり夢のような現実、構造無き本質、そういうものについてだけ、権力がスルーして行く中核についてならば、私ごときでも師匠を感知できる。それは私という茶碗のかけらから汲む大海の水、そこにはまさに水の物質感しかないけどそこで素の師匠の横顔が一瞬見えるのかもと。
20pからなる本作は4つの章に分かれ、
7章は『田紳有楽』と『暗夜行路』の違いを比べ、志賀の特権的所有的自我(&中野の国家対抗的自我)とも異なる自我のあり方を分析。『二百回忌』との共通点にも触れます。
8章で『田紳有楽』あらすじを紹介。
って、(内容紹介でした)これ普通に私小説と考えられているものと一見すごく違うけど文章それ自体は頂点を極めている鍛えぬいた私小説のもの。つまりその一見違うあり方とは元の本当の私小説におそらくは一番近いものだ。自由であること、正直であってかつ、技術を尽くすこと。
9章は、そんな自由で正直な作家はどんな人物か振り返りつつ、藤枝の自我にとっての所有物とは何なのか探ります。
10章で結論。
藤枝の文学的自我とは、「池は魂、水は欲望の通路、茶碗は割って沈めた自我、水棲生物は過去の記憶」なのではないか。
近代的自我を彼は保とうとした、しかし持とうとする以前から持っていた池のような魂、器のような自分、池のような自分、それあってこそだった。
静岡県藤枝市に生まれた父の子、絵を描く僕、医者である私、婿である僕、とか複雑そうですから。多様なのが自然とも言えますね。
師匠の私小説『田紳有楽』はこのように「でたらめ」と称し、一切のお約束的リアリズムの手足を縛ったまま、真っ暗の崖に飛び下りても、体から文章の翼を生やして空中浮遊した世界文学。その浮遊により背後にあらわれるのは輪郭をなくして初めて判る世界の本質だ。それは曽宮画伯のまっ縦にのびて物質化したあの巨大な虹の飴が、さらに一億本も並んでいて、もう食い切れない極楽、なのに親しみ深くてビールの酔いのように体感できる世界、ちなみに師匠も青木画伯もこの縦一本の虹を見たことがある。オーバーザレインボー、本物の仏様と会話できるカフェ。見られる触れる、だらしない仏様たちはとっても気さくです。
スケールでかい。個別のリアル追求し全部盛ったら「でたらめ」になったって、それどこのキュビズムですか。
そして次回に続くよ!

令和元年台風第15号 - Wikipedia
ちなみに冒頭は、千葉を襲った台風15号被害の話から始まります。
笙野さん宅は停電・断水を免れていたそうです。ご無事でよかった。
でも週末はまた大型台風、被害がさらに拡大しないか心配です。
次に静岡に台風があったら現政権はどうするのか・どうせ放置しますよ、だって日本中にTPPを発効させてしまったばかりかとうとう日米FTAをかます連中だもの。自然災害が来る前に農業と漁業を世界企業に売ってしまった今から病人も皆殺しにする、連中ではないか。そもそも浜松なんて真先に水道民営化から狙われていたし。
日米貿易協定にも触れてましたが、実質FTAは10/7に署名され、国会で審議中。国内の合意をへて来年発効予定。
内容が曖昧なまま、発効した後本格交渉するらしく、幾らでも変更できるなんてヤバすぎる。
【近藤康男・TPPから見える風景】合意に値しない合意と協定に値しない協定|コラム|JAcom 農業協同組合新聞


馬場秀和ブログに感想アップされていますよ、仕事が早い!
『会いに行って――静流藤娘紀行(第四回)』(笙野頼子)(『群像』2019年11月号掲載)
きちんと要約されていてわかりやすい。そう本作は『暗夜行路』への言及も面白いので見逃せません。

東條慎生さんの感想ツイート

なぜ土の話からつながると思ったら、国を治める責任がある故に自我を必要とする訳で、だから「二百回忌」が比較対象になるのですね。
「藤枝著作集月報での混浴温泉のエピソードは、立原正秋のそれについて後藤明生が訂正をしたものだろう。文芸文庫の月報集で読める。
後藤のは『夜更けの散歩』に収録。」メモ_φ(・_・


---- ここからは自分メモ
私が受賞した翌年の群像パーティで、「彼はなぜ来ていない、短編を書かせなさい」と師匠は言ってくれた。彼、であった。
p372のファン胸熱エピソード。受賞作「極楽」を読んだ時、師匠は五十過ぎの男が書いた物と思ったそうですね。だから彼、ですよ。
書き手の肉体的性別とかどうでもいいんですよ、師匠は。テキストだけ。
その藤枝さんのお蔭で、ファンは今こうして最新作が読めるのです。感謝しかない。

匿名掲示板にかつて藤枝静男スレッドがあったらしい。
今検索してみたら、これしか見つけられなかった。
【う●ちフリカケ】藤枝静男【ペイーッ】
高校時代に藤枝静男にインタビューしたという引用面白い。
86 : 吾輩は名無しである[] 投稿日:04/12/28 19:06:10
(略)
藤枝 僕は文学っていうのは個人のものだという考えが強いのでね。
万人に通じるとか、普遍的だとかって言うのは言葉にはいいけれど考えてみると曖昧だよね。
だから帰する所は結局だんだんおしつめてゆけば、自分の持っているイメージというのをその通り書くしかないっていうわけだよね。
だから僕の小説っていうのは非常に個人的であるっていうのは確かだよね。
いわゆる私小説で私の日常生活を描くっていっても、僕個人の受け取り方で書いているんですね。
だからもっと狭いんだろうな、僕のは。他人に通じないんだろうな。
そりゃ覚悟の上ですね。
それでなけりゃこんな医者なんかやりゃあしないよ。文学をやりますよ。
文学で食っていくというのなら人が気に入るよう、人に通ずるように、極端にいえば大衆小説を書かなくちゃならないんだから。
そうしなけりゃ人は読んでくれないから生活のために自然に妥協してくる。
でも、そういうことやるくらいなら書かない方がましだ、って思ったから。
だから生活の手段は他でとるわけだよ。今はあとを継がせて食わせてもらっているけど。
167 : 吾輩は名無しである[] 投稿日:2006/04/30(日) 20:53:06
長くなったので分けました。
僕の感想ですが、「田紳有楽」はやはり私小説ではないかと。
そして私小説としての凄みは、伝統的な、何というか文人的教養にあるのではないでしょうか。
特に最初の私小説的な部分の描写の緻密さ、植物や骨董への造形の深さが注目されます。
単なる知識ではない。肉体的知識。しかも肉体化されているから知識自体に肉体的嫌悪、つまり感情があります。
いや、その言い方ではまだ及ばないな。知識自体の存在感といえばいいのか?僕たち以後の世代には絶対にないものだと思います。
え~と、たとえば骨董の知識は骨董を扱う山師のような怪しげな骨董屋との実際の交流抜きには語れないでしょう。
もちろん、その中には志賀直哉や、その周辺に集まる人物の体温と体臭も感じられます。知識も、作中の皮膚疾患の描写も同じ次元のものなのですね!……いや、たぶん。
「田紳有楽」の池は勝見邸に実在しました。藤枝さんは色々生き物も飼育されていたようです。高校生の時のインタビューの帰りに、玄関口の下駄箱か何かの上のプラスチックの鉢を指して、「君、ここにヘビがいるよ。」とおっしゃいました。
「ヘビの脱皮するところを孫に見せたくて飼っているんだ。」この後で「みんな生き物、みんな死にもの」という作品にそのへんのことを書いています。
この時僕は、「孫思いの好人物のおじいさんの一面がうかがわれるようで、おもしろく思えた」などと知った風なことを書いているのですが、そんな生やさしいものではなかったのですね。お孫さんはどんな人に育っているのでしょうか?
「田紳有楽」は夢の小説だけど、寝汗をかいて見る夢、心臓の動悸と直結した夢、全身の掻痒感が乗り移った夢、なんと重い夢なんだろう。
189 : 吾輩は名無しである[sage] 投稿日:2006/05/15(月) 00:15:59
(略)
「阿闍梨ケ池」のモデルとなった桜ヶ池は浜岡原子力発電所の近くにあります。
「御櫃収め」は秋分の日(秋彼岸の中日)に行われます。奇祭と知られているだけあって九州からバスでやって来るひとたちもいます。
地元では《ミロク》を待って蛇と化したといったものではなく、お姫様を待って、という伝承の仕方なんですけれど。

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