『蒼生2019』特集「文学とハラスメント」に笙野頼子「これ?二〇一九年蒼生の解説です」掲載(3)

早稲田大学文芸・ジャーナリズム論系の学生誌『蒼生2019』の特集「文学とハラスメント」に、笙野頼子「これ?二〇一九年蒼生の解説です」が掲載です。
特集についてはこちらの記事を参照ください
この記事では、エッセイの内容を紹介していきます。
一月の下旬、K君という早稲田大学の知らない学生から、「蒼生」という雑誌のインタビューを依頼された。それは学生の創作をメインにした一年に一冊の、つまり卒業記念的な雑誌なのだが、彼ら学生はこれを、後期の実践的な授業のなかで制作するそうだ。
卒業記念的だけ違っていて、大学2年生から4年生が授業で「蒼生」を作る授業だそうです。
他は誰が出演するかと聞くと「宮崎駿」、
インタビューは「発注一月十九日仕上げ節分二月三日、ゲラ二回見る」、数日後に発注という急な話。
お断りしようとすると、本当の特集は「文学とハラスメント」だという。
「私達学生は渡部直己教授のセクハラ告発をするべきだと思いました。すると市川先生と北原先生からありとあらゆる妨害を受けました。僕は今自分もハラスメントの被害者だと感じています。この批判を終えるまでは卒業しません」
「セクハラを許せない。渡部氏だけではない。ある女性教員は 被害者に味方したり学生が嫌な目にあわないように注意喚起をし、相談に乗ってくれてもいた。市川先生はそれをいなしに行き、ほどほどにしろと牽制したんです」
依頼主は、早稲田大学の渡部セクハラ事件を特集しようとしたが、できなかった。
代わりにそのハラスメントの批判特集を作るという。その話を聞いて…。
 私はさまざまな事を思い出した。――市川君、もし君がこの 特集の私の原稿をボツにしたら君は、この生涯で私に三度、言論統制をかけたことになるね?あの時、「柄谷行人」と私は書けなかった。「日本近代文学の起源」とも君は書かせなかった。


書くべきことを書かせない、ことに個人名を書かせない。この学生たちの必然的受難、それは「私が来た道」なのであった。 むろん、別に私の戦った相手は市川君だけではない。長きに渡る論争経験とその論争媒体における言論統制との戦い。私はその細い道を歩いてきて、やがてこの国が辿る大道を知った。

文壇における言論統制、それこそ戦争への道なのである。純文学における「タフなカナリア」と私は年来呼ばれてきた。

文学は自由に書け、例えそれが政治的テーマであっても、その媒体のオーナーの批判であっても。それがどんなに大切かを 今ひとしお、私は噛みしめている。むろん私の技術があれば、名を出さずとも、小説形式にしても、虚構化や一般論化による告発は可能である。一方、論争は雑誌のコードとの戦いである。技術だけで越える事の出来ないものはある。

やはり、根本に媒体の姿勢というものが必要である。つまり、 オーナーの批判さえ可能な新聞もあるという事だ。例えば、そんなにきつくではないが、「しんぶん赤旗」は出来た。私が今「しんぶん赤旗」によく出ている理由のひとつである。自由に書かせるものは戦争を止める。

但し、書きたいことを書かせないと言うときにむろん、私はヘイトスピーチをしないという事を前提に言っている。つまり 多くの場合それでも媒体の禁止してくるものとは結局、偉い人、 広告企業、訴訟可能性にすぎないのである。「文学に政治を持ち込むな」という事がむしろ、政治的なのだ。

マスコミ批判を始めて、もう二十年越える、むろん随分干された。 例えば、人生の一時期、私は文壇にいた。主流派の横暴に怒った人々の手で、ほんの数年、たまたま乗っかっていただけのそのラインからも、私は既に降りた身である。しかしこの戦いは 止めるわけにはいかないのだ。書くべき事を潰す、それも「形式を整える」とか「内部事情は私的なものだから」とかそういう言い訳でそれを無くしていく?私は許さない。つまり、そんな言い訳している奴こそが批判される奴だからだ。

なるほど固有名詞の排除、それでも批判は出来る、むしろそうした方が歴史的に腐らないし象徴的な悪を描く事が出来る場合もある。それは私もよくする。一方ここで固有名を出すべしという重要なポイントもある。どっちにしろ、黙っていてはいけない。

「ただ今回は固有名詞必要でしょう?むしろ歴史的に風化させてはいけない、ああ、そう言えば前世紀にただ一度だけ会った田中三彦氏が、書評欄に東京電力の四文字を書けぬことを怒っていた。私は彼に会ったので『水晶内制度』を書いた。というと結局?固有名詞は巨悪限定だからワセダには関係ないという話になるのかな」。 たかが一大学?しかし早稲田がマスコミを形成しているのだろう?ならばやるべし。

「要するに、君らの先生、指導教員を批判する特集ですな? それむしろオーナーや学長の告発より大変かもしれないね、つまり雑誌でも一番批判がやりにくいのは、社長とかじゃない、 むしろ現場の編集者だよ、しかもセクハラは、普通現場で起こるものだし」。
現場を批判という大難度に挑んでいる学生。それを聞いて断らない笙野さんにも賞賛せざる得ません。
私なら面倒事に関わりたくないと逃げてるかも…。
『徹底抗戦!文士の森』の「反逆する永遠の権現魂ーー金毘羅文学論序説」(「早稲田文学」2005年1月号)、書名と著者名禁止のコード…ありましたね。
もう十四五年も前、「早稲田文学」において、私の柄谷批判 にかかった言論統制、それが市川君の手になる、私に対する最初の統制であった。それは柄谷と書かずに柄谷批判をしろという無理筋のコード、しかし「市川君と頑張って一緒に」クリアした。
そんな裏話があったとは…。制限する編集側と一緒に苦労とは、今から見ればおかしな構図です。名前書くとボツになるのかもしれませんが。
あの時はむしろ彼に感謝していた。統制も何も柄谷批判をさせるというそれ自体が大変な事だったから。当時、誰もが彼を好いていたと思う。年上から見た「みんなの弟」。

「でもね、市川君て、けしてそんな人間じゃなかったと思うんだよ?ただ、ああ、そう言えば私が文壇の選考委員を全部降ろされたあとで、パーティでものすごい態度を取られた、ていう覚えはある、その事を「早稲田文学」の戦争法案アンケートについつい書いたら、欄が少ないので削除された、しかしサイトの方に全部出すと言っていたけど、もし出ていなければそれが二度目の言論統制だね、しかもあれ翌日締め切りで無料の仕事なんだよ、やれやれ昔柄谷行人、今度は渡部直己か、......その上市川君本人の批判も禁止とはな、しかし前の時は精一杯書かせてくれたんだよ本当によく、頑張ってくれた」。
二度目は、「早稲田文学」2015年秋号の緊急企画「安全保障関連法案とその採決について」アンケートですね。
「すばる」9月号崎山多美エッセイ・「早稲田文学」2015年秋号アンケート
ブログに全文引用してますが、最後が変だと思っていました。
風の噂にwebで続きが掲載されると聞いて、2015年から今までずっと待っていたんですけど。メールの返事がこなかったからって、三年間も聞かないままにしますか普通?放置しすぎでしょ。
(…それと選考委員かどうかでそんなに違うんだ…)
 公平な人だった、出来る限りだけど。そもそも、無理しながらも柄谷に怒られながらも、市川君は「早稲田文学」にその場 を作ってくれた。『徹底抗戦!文士の森』に載っている論文だ。 あの時、二人で物凄いやりとりがあった。彼はむしろ私にいろいろ情報をくれた。しかもぎりぎり朝の五時にファックスで送った初稿を見て、彼は電話口で悲鳴のように泣いて言った。
「僕はこれが読みたかったんだ」って、柄谷よりむしろ私に寄って戦ってくれたと感じていた。しかし、学生相手だとそんなものなのか。 判ったとも。ぎりぎりまで来られなかったわけはもう判ったから。
後、わからないのは宮崎駿の話です。それは文字起こしの練習授業の話なのでした。
「そもそも宮崎監督のインタビューなんてないも同然です、それは別にワセダのお力でもないし、先生が頑張って貰ってきた ものでもない、もともとネットのユーチューブにあったものにすぎないのです。つまり普通に、動画を僕達が文字にするという事、それだけのもので、練習です、模擬特集といいます。だけど僕達はこんなおけいこ用の何の実態もないものではなく、 本来はしたい企画を自分達で立て、先生方の許可は貰うけれど、 オリジナルを工夫した本特集を例年、実行するのです。それが卒業制作になったはずなのです。なのに今回は本特集が、この模擬特集に差し替えられました。また、この宮崎インタビューを起こすという作業にしても、けして僕達がしたいと言ったものではない。この選択もその上の作業も、何もかも先生方の命令にすぎないのです」。
授業の方針がシラバスと違い、模擬特集が延長されたり、プレゼンが延期・休講だったり、色々あった様子。
学生の日誌紹介とハラスメント批判が続きます。それは別の記事にまとめました。
『蒼生2019』特集「文学とハラスメント」に笙野頼子「これ?二〇一九年蒼生の解説です」掲載(2)
シラバス変更や休講、それ単体はよくあること。でもそれが一つの単位に全部盛りというのは滅多にないかと。プレゼン2度も延期も聞いたことない。
 というわけでこの二〇一九年蒼生、私の解説なしに読んではなりません。
そうしなければ、この雑誌はまるでNHKニュースのようにつるつるのまま、全て民意を押しつぶし、我が国を戦争に導く非道の力となるから。
結論、みなさんこの「蒼生」の本当の特集とは何だったのでしょう、褒めてやってください!!!それは彼らの、統制の陰で行われた戦いである。その記録をここに残しておきます。
書かれなかった「セクハラ事件」の特集、なぜ書けなかったかという記録が残されたのですね。そこまでしてなぜ彼らは「セクハラ事件」を残そうとしたのか。
付記1によると、
ただこれリトルマガジン(半分サブカル)「早稲田文学」を出している大学の中の事、やはりここは、一般の文芸誌よりも「早稲田文学」とかあるいはこの「蒼生」とかできちんと報道するのが良いはずである(だから頑張ったんだね彼らは)。
出版する大学として責任を果たすべく、自主的に検証しようとしたのですね。素晴らしい。
私もワセダクロニクルでセクハラが報道されるのではと期待していました(今も無いけど)。
でも、学生達が「蒼生」に記録を残そうと頑張った。その勇気と行動力、尊い!
及ばすながら、私もその記録が残るようメモしておきます。

そのあと付記は、渡部批判が続きます。
「群像」で大塚某と座談をやり一緒になって文学を腐して 醜く噛みつかれ無責任と腑抜けを晒しまくったセンセイ。結果 私を激怒させ、私とあの元ロリコン業者との間で行われる第三次純文学論争のきっかけを作ってしまい、その結果も自分は知らぬぞんぜぬで、私の『金毘羅』を「惜しまれる」とか抜かし、 ともかくひたすら無責任なよその人ですわい。要するに渡部は活字になるはずの対談の場で、文学全体を馬鹿にされながら平然としていた。何の当事者意識もない大馬鹿者である。
「純文学」論争のきっかけになった座談会、渡部氏も参加されてましたか…。(「群像」2002年3月座談会「言葉の現在― 誤作動と立て直し」渡部直己・大塚英志・富岡幸一郎)
向こうは天皇小説を論じていながら私の「なにもしてない」を忘れていたとか言って、それ以上に触れず、でもこっちは、その「なにもしてない」 に既に名前を出さない渡部批判が書いてあるという状態(『笙野頼子三冠小説集』一六六頁)。
「なにもしてない」のこの部分、渡部批判を含んていたのですか。気づかなかったです。
まともな自省心をもたらしてくれるごく一握りの手紙や時評を大切に普段は暮らしている。だが鬱は根源的問いかけをほじくり出し不安を高めた。よく判らない意見の判らなさを真面目に受け止めようとして、私は考え込んでしまったのだ。
……なんで吟味もせず私小説などという言葉を使うんだろう。なんでひらがなとカタカナの区別が付かないんだろう。現実の土地と、日本語で作った土地の区別をなぜしないのだろう……。
文章に私と書けばそれは私と書いた板だったり、一人芝居の人間が自分の鼻を指して言う言葉だったり、或いは人間のヌイグルミを被ったゴジラの告白の主語だったり、私、という名を与えられた一匹の金魚だったり、時には私というビニールパイプ製の漢字一文字を首に見立てて、アンドロイドの体にすげたものだったりする。その私をどうして一通りに論じ、場所を全部読みて自身の家に設定してしまったりするのだろう。ミカン食わせたら皮だけ喰ってまずいキンカンだと言い、キンカン喰わせれば皮をむいて捨て苦い実だという。或いはこれみよがしのクサイ包丁さばきで食物を飛び散らせて、鈍刀振り回しているような評論にもあう。
今でもこういう読めない書評ありますね。いやはや。

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