疋田雅昭の笙野頼子研究三部作

疋田雅昭さんの論「闘争あるいは溶解する境界 -笙野頼子「なにもしてない」をめぐって」が『明星大学人文学部紀要』54号に掲載されています。
明星大学学術機関リポジトリで公開されてて、ありがたい限り。
「なにもしてない」は、「移動」と「断片化」が重要ではないかとのこと。
本論が注目したいのは、「断片化」されているはずのものたちが持っている不思議な結びつきの方である。「移動」と饒舌な「妄想」というテクスト内の運動=力学が、一見「断片」に見えるものや二項対立的に見える諸要素を結びつけてゆく様相である。(p86)
書き手の気まぐれ風に場面が断片的に描かれるスタイル、そこに注目した論は初めて見たかも。
そのスタイルは笙野小説の魅力の一つですからね。ぜひ解明していただきたい。
だが、一方で、母、祖母、(親戚の)娘と、語り手の想像力は、自身を含め、なぜ 女性で連結されているのか。それら家族的な想像力が、なぜか天皇からの想像力と「接続」されていること。こうした問題に語り手は無自覚なのである。(p98)
祖母・母・娘と家族のつながり、この時点で登場していたのですね。

「ナニモシテイナイ」とされる自分、現実とテレビニュースの位相、母親の似てない父親の似顔絵、富士山のイメージギャップ…、そこでつながってたのか。
恥ずかしながら「なにもしてない」の全体の構造を把握できていなかったので、論文は参考になります。

明星大学のは「笙野頼子研究三部作の最後」だそうで残り2部、
「移動する時空 あるいは 残された断片―笙野頼子「タイムスリップ・コンビナート」論」は「武蔵野大学日本文学研究所紀要」第6号、
「「倒錯」と「顚倒」の連鎖―笙野頼子「二百回忌」をめぐって」は「立教大学日本文学」第119号に掲載されているそうです。
立教大学日本文学会 Webに紀要の目次はあるけれど、まだリポジトリにないようで、早くアップされないかな。

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