講談社文芸文庫『猫道 単身転々小説集』感想まとめ


笙野頼子『猫道 単身転々小説集』が講談社文芸文庫から3/14に発売されました。
講談社BOOK倶楽部|『猫道 単身転々小説集』笙野頼子
引っ越し長編「居場所もなかった」(群像1992年7月号)をメインに
「冬眠」(群像1985年4月号)
「増殖商店街」(群像1993年1月号)
「こんな仕事はこれで終りにする」(群像1994年11月号)
「生きているのかでででのでんでん虫よ」(群像1995年7月号)
「モイラの事」(『片付けない作家と西の天狗』2004年6月後書き)
「この街に、妻がいる」(群像2006年10月号60周年記念)
猫の近況報告(猫絶賛)エッセイ
・「前書き 猫道、――それは人間への道」
・「後書き 家路、――それは猫へ続く道」書き下ろし
・平田俊子さんの解説「隣の偉人」
・年譜・著書目録はおなじみ山崎眞紀子さん・飼い猫ギドウの写真付

笙野頼子作品は、信仰と神話・哲学・権力批判・家族・飼い猫(と身辺雑記)と色々な面がありますが、その一つである猫歴史を理解できる一冊です。
文庫サイズで税込1998円は高いですが、何気に384ページと分厚いですし、若き無猫砂漠時代からキャト・ドーラ・モイラ・ルウルウ・ギドウを得ての流れを実感しつつ、亡きモイラの夢を見る「この街に、妻がいる」を読むと圧巻です。これは立ち読みして単行本未収録作だけ読んでも味わえません。
どなたかにお借りするなりして最初から読み進み「この街に〜」や後書き・解説に触れて欲しい引っ越し小説集です。

さっそく馬場秀和ブログに感想アップされましたよ。
『猫道 単身転々小説集』(笙野頼子)
一つ一つの小説に感想を書きつつ、全体の構成の流れがわかる記事です。GJ.
解説の平田俊子さんは笙野さんが特任教授されてた時、研究室のお隣さんだったそうで。「ドアの向こうに笙野さんがいると思うと心が騒いだ。ノックすることは憚られた。」という気持ちわかります、わかります。
にしても年齢的に同級生(というか同期?)な上に、学び舎も同じ、研究室も隣にって、そのおいしい立ち位置なんかズルくないですか(何が?)。

東條慎生さんの感想もClose To The Wallにまとめられています。
笙野頼子 - 猫道 - Close To The Wall
初期短篇「冬眠」も中後期作品も、大切なものがある自分の空間、というモチーフでは通じるものがあるけれども、その関係が閉じたものではなくなっている。作者自身が書くように、初期作品の感覚は「人間という自覚や感覚」が欠けたゆえの硬質で冷たい雰囲気があり、そこに魅力もあった。しかし猫によって生きる実体と根拠、闘争の拠点を得て、笙野作品は「生命の喜び」や「幸福」が重要なテーマとなっていくわけでもあって、そのそれぞれの時期から選び出すことで、作品の変化がたどれるようになっている。
猫を飼うことによって、社会につながりができ、視野が広まっていく変化もありますよね。
逆に言えば、突拍子もないようにみえる幻想には事実の裏付けがあるということでもあって、これは笙野作品が持つ生々しさの由来ではないか。突拍子もない、荒唐無稽、非現実的、と言われかねない描写は、幻想的なようでいてきわめて現実的でもあるわけだ。

笙野作品はしばしば被害妄想的といわれるわけだけれど、幻想的ではあっても、ではそれは本当に妄想か、となるとそこにこそこの視界の違いが滲んでくるようにも思う。会社員の男性編集者のような「普通の読者」に通じるものにするため、リアリズムではなく荒唐無稽な幻想として書くというある種の便宜性がうかがえもする。それほどここには見えているものの断絶があることになる。

現実の極端なデフォルメ、のはずの描写がじつはそのまま現実そのものでもあるというような戦慄は、近作の笙野作品にもそのまま通ずる感触だったりもする。
独身女性のリアルな生活を言っても、正社員男性には伝わらないとはよく聞きます。
現実を極端にデフォルメされた部分は女性から見れば、現実を面白おかしく笑い飛ばして痛快なのですが、
それが男性に話を通すためにデフォルメしたという必然性から生まれたのだとすれば、なんだかモニョる話です。

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