毎日新聞11/7(金)ひと欄に野間文芸賞受賞インタビュー

毎日新聞11月07日朝刊のひと欄に、笙野頼子さんの野間文芸賞受賞インタビューが掲載されています。
 自身は重症ではないからタイトルの頭に「未」を付けたとはいえ、<つらさが普通だと思い込んでいる私は、世間から見ればきっと変だったのだろう><「疲れ」という言葉の背後にあるもののレベルが違いすぎ、一語が通じない。新聞記者から食事に招かれても途中で店の外に出てしゃがむしかなかった>と、切実だ。それも「自分の体の中に文学があったということ」と表現する
過去作のなかで「疲れてる」といっても意味が伝わらないと、何度か書かれていた事を思い出しました。ずっと意味がよくわからなかったけれど、本作でやっと理解できました。
 痛みゆえに、テンションが高い小説の数々が生まれた面はあるのか? 「若い時から人に症状を伝えにくい体だったから、言葉は通じないと思って取りかかるしかなかった。おもしろく言ってリズムも取って。肉体に負けるものかと我慢できるところまで我慢して、手が動くならメモを取ってやる、と。書くことは闘いでした」。ただ、持ち味の幻想世界については「煩雑で単調な現実を楽しんで一気に読んでもらうためのデフォルメ(変形)」であり、痛みとは無関係という。
「私には、伝えずにはいられないという言語能力が人一倍ある。孤独じゃないと思うんです」
「闘病記」だから暴走しないように書いたと「群像」2014年9月号対談でおっしゃってましたが。本作を抑えめに書いたら、過去の作風は病気が影響?とか言われるのですか。いやはや呆れます。
それに幻想世界は夢日記などをヒントにして作っていると、過去作で何度か書かれていましたよね(とツッコミいれてみたり)。

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