『海底八幡宮』の感想

笙野頼子『海底八幡宮』の感想です。
本作は、笙野頼子は権現・金毘羅だったのですシリーズ三作目。
金毘羅』で自分が金毘羅だと目覚め、 『萌神分魂譜』で自己内他者ヒコと出会う。
本作では自分の中の目上・ボスの心・王の心を発見する。

今までは母に毎日のように電話していたけれど、もういない。
仕事上の「母」もなくなった。
長年つれそった伴侶・飼い猫ドーラも元気がない。
15才をむかえて夏をこせるかわからない。心配で目を離せない状態。
こんな時に限って嫌なえらい人からイタ電かかりまくるし、
訴訟するだなんだ脅してくる評論家もいる。
そんな悩みを亜知海に話す。
亜知海は宇佐八幡宮を作った王だ。
時の王権に追放されてから千五百年ずっと海底から民草を見守り続ける原始八幡の王。
真の王・王の本質そのもの。
亜知海は答える。「世の中の理不尽は税を取るための呪いであると。」
古代も現代も権力のからくりは同じ。
「歴史を繰り返すな。覚醒し越えていけ」

──と、このへんまで理解しました。

だいにっほん三部作で「おんたこ」(反国家と名乗りつつ、やっていることは無自覚に国家@Panzaさん)を描写した。
『海底八幡宮』はそれを「捕獲装置」と名付け、国家権力とは何か、そもそも権力とは何か、
亜知海との対話から権力の正体を描き出した。

権力に本質はない。すっからかん。
オリジナルを本質をくいつくすコピーだ。
と亜知海は喝破する。

そうか。空っぽだから力がないし、力がほしいから本質を奪いにくる。
奪った瞬間は力を得られるが、その瞬間からコピーになって力を失う。
だからまた別の本質を奪うことになる。エンドレス。

私が知りたかったのはこれだ!
このからくりがずっと知りたかったんだと思った。



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