清水良典『文学の未来』(1)

清水良典『文学の未来』を読みました。
ラストに「闘う文/夢みる文―笙野頼子」が収録されているからです。
例の「論座」2008年5月号笙野小特集の寄稿文が大幅加筆で16ページにボリュームアップ。
2008年時点で笙野頼子を総まとめした批評文になっております。
わかりやすい解説でにわかファン(私)には大変ありがたい。

そこには、現在に至るまでの笙野頼子の戦いの原理が刻まれている。「私」を束縛し、「ない」を規定しようとする外部の力と徹底的に争うこと、そして同時に外部の原理のさらに「外」に立ちうる「私」を想像しようと試みること、――その外と内に向いたベクトルが同時に働くような闘争として、彼女の文章は運動しつづけているのだ。p302

そうそう、笙野作品は束縛の外にたつ「私」を創っている。
笙野頼子の魅力の中で、その創造力が一番好きだ。元気になれる。

 時代が最も軽んずるもの、無価値と断ずるもの、「ない」ことにされたものたちの封印された声に、笙野は「習合」する。その対象や敵が今後どのように移り変わろうとも、笙野頼子の闘いは永続する。p311

野良猫も天狗もカッパも原始八幡もナイことにされたもの達としてモチーフになっている、てことですね。
国家とか権力と闘っているとばかり考えていたが、「無価値と断ずる」もっと大きな枠の力を射程に入れているのかもしれない。奥が深いなー。



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