講談社文芸文庫『海獣・呼ぶ植物・夢の死体 初期幻視小説集』 11/12に刊行

笙野頼子『海獣・呼ぶ植物・夢の死体 初期幻視小説集』が講談社文芸文庫より11月12日刊行です。
2000円+税・352ページ。電子版は11/11より配信、1600円+税。

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馬場秀和ブログにさっそく解説アップされています。
『海獣・呼ぶ植物・夢の死体 初期幻視小説集』(笙野頼子)
「どうしても「あ、これは後のあれに発展するやつだ」とか感じてしまう。」
わかる。どうしても連想してしまう。試行錯誤されてるとしみじみする収録作は以下の通り。

「海獣」… 「群像」1984年8月号 (底本『夢の死体 笙野頼子初期作品集2』1994年11月)
「柘榴の底」「海燕」1988年8月号 (底本『増殖商店街』1995年10月 講談社)
「呼ぶ植物」「群像」1989年5月号 (底本『夢の死体 笙野頼子初期作品集2』)
「夢の死体」「群像」1990年6月号 (底本『夢の死体 笙野頼子初期作品集2』)
「背中の穴」「群像」1991年10月号(底本『居場所もなかった』1998年11月 講談社文庫)
「記憶カメラ」書下ろし

解説「「超小説」との再会」菅野昭正、年譜と目録は山﨑眞紀子。電子書籍にも収録されていますよ。

「海獣」は京都の一人暮らし、「柘榴の底」「呼ぶ植物」「夢の死体」は東京八王子時代、「背中の穴」は(騒音酷い)小平に引っ越す話。六編全て文体が少し違ってて面白いですな。
「夢の死体」で二見シーパラのイルカが出てるの、忘れていたな。

書き下ろしの短編「記憶カメラ」は、レンズに水の入ったデジカメの写真を再生しているとなぜか混じる東京時代の写真から、収録作を振り返る話です。

記憶を記すと言うよりその記憶がなぜ残っていたか、その理由が大切と思っている。
おそらく私は古い記憶を使って、自分の今から過去に渡る思考や現在を掘り起こしているのだ。それは、過去の復元であると共に、書いている現在が求める「創作」である。だって「思い出した」というのはまさに今の自分の切実な現状の故なのだから。

京都時代の難病ゆえの辛さ、若い女性ゆえの困難。難儀から書き始めた小説、そして群像デビュー。女性が「離婚小説」以外の文学を描く困難が描かれています。

ちなみにーーこの時期の短編は他に冬眠とか虚空人魚とかあって、実は海獣、冬眠、夢の死体で三部作なのだが、そして虚空人魚はこの三部作と同系統の、水にまつわるSFなのだが別の文芸文庫にもう入っているので、今回はこんな配置になった。

それで「笙野頼子初期作品集2」とは収録作が違うのですね。海の夢が三部作とは知りませんでした。
『猫道』と同様に、最後にピジョンさんとツーショット写真も収録されてますよ。
ついでに、「冬眠」は『猫道 単身転々小説集』、「虚空人魚」は『戦後短篇小説再発見 表現の冒険』に入ってます。

菅野昭正さんの解説では、

いま鉱脈から掘りだしてきたばかりの、手つかずの粗々しい原石にも似た、素朴ながら逞ましい強靭さを感じさせる作品だった。
作者の書きたい事柄、書かねばならないと信じている問題が、自由奔放に書かれているように読めたということである。もうすこし言葉を添えるならば、かねがね作者の考えてきた事柄、考えてきた問題が(一場の譬喩としてそれを「原石」に見立てたわけだが)、あたかも未加工であるかのごとく、卒直かつ果敢に連ねられてゆく小説と定義づけてもよろしかろう。

仰る通り、力強さは笙野小説の最大の特徴です。どこからきているのかと思っていましたが、率直さからですか、なるほど。
解説では、「皇帝」が「小説家として出発する起点」で樹木に例えると幹、収録された初期五篇は枝葉と見立てておられます。確かにそれから「タイムスリップ」や荒神シリーズに発展している感じもしますね。

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