赤旗9/29・東京新聞9/30の文芸時評と図書新聞10/17に「引きこもりて コロナ書く」、日経新聞9/26夕刊文学周遊に「タイムスリップ・コンビナート」

しんぶん赤旗 2020年9月29日(火)10面の文芸時評「文学作品と言論の自由」に笙野頼子「引きこもりて コロナ書く #StayHomeButNotSilent」(「群像」2020年10月号)が取り上げられています。
作者は文芸評論家の岩渕剛さん。

新型コロナウイルスの感染は一向に収束には至っていない。長期にわたる対応が求められる中で、そこから浮かび上がる社会の姿が見えてくる。

笙野頼子 「引きこもりて コロナ書く」(『群像』) は、 この間の政府の施策と照らし合わせながら、自らに見える風景を描いていく。政府の政策は「ひたすら一貫して不動の対策を、或いは無策を、ただもう、ただただもう民を苦しめるために行う」ものだというのである。そこにはTPP(環太平洋連携協定)を推進し、 種苗法を変え、この国を自立できないものにしようとする意図があると、以前からの作者の主張を現在の状況に重ね合わせて述べていく。もちろん、そうした動きに反対する「農民連」の人たちもいて、作者は時々、 国会の前でその人たちと共闘もする。作者はこの事態を書き続けることで、現代を告発していく。

そして作者は、この国の人々の中にある不条理を考える。「なぜ我が国びとは不運な弱者や被害にあった人が姿を現すとその存在自体に怒るのであろうか、そして声をあげると黙らせるのであろうか」。ネットで広がるさまざまなバッシングを捉えながら、それが決して現代だけの特別なものではないことだとして、この国の「伝統」や「土俗」 のありようを問いかける。

確かに、空気のようにある土俗的な呪いそのものが原因ではないか、自覚的に呪い返さなければ自由になれないのではないかという問いかけかもしれませんね。


東京新聞 2020年9月30日(水)夕刊の伊藤氏貴さんの文芸時評にも笙野頼子「引きこもりて コロナ書く」が紹介されています。

「引きこもりてコロナ書く」(「群像」2020年10月号)で、笙野頼子はまさしく難病と闘いつつ、SNSやコロナについての考え方を煮詰める。たとえばコロナによって中止を余儀なくされた近所の「チューリップ祭り」で、人の集まるのを避けるためやむなく花の刈り取られたあとの写真がネットに出回り、それに対する非難が渦巻いた。刈らねばならない人の気持ちを推し量ることなく一方的に責め立てるこの風潮が「今のこの国の土俗、習俗、国民性」だとしても、それはやはりSNSに煽られているだろう。
引きこもって他者とあまり接触することがないとしても、病と闘う中で自らの痛みを引き受けつつ練られた笙野のことばは、他者の痛みを忘れない。しかし、身体性を忘れたことばはSNS上でますます激しく他人を傷つけている。はたしてコロナが去ったあとに身体性を持ったことばは再生されるのだろうか。

SNSが国民性に影響を与えている、とはアメリカでも指摘されています。SNS・インターネットの無責任なシステム構造も社会インフラの一つとして無視できません。
コロナに苦しむ人たちの痛みの言葉が拡散される一方、それを非難し抑圧する攻撃が後を絶たない。
けれど体があるかぎり言葉は生まれ続けるのだと信じ続けたいですね。


図書新聞 2020年10月17日(土)第3467号の岡和田晃 さんの〈世界内戦〉下の文芸時評第67回「周縁化された「原型」をもって、格差をもたらす構造を解体せよ!」に笙野頼子「引きこもりて コロナ書く」が取り上げられています。
今週の図書新聞
合わせて菅首相の「自助」や日本学術会議の任命拒否を批判されているとか。実際ほとんど阿鼻政権、地続きですからね。


日経新聞2020年9月26日夕刊の「文学周遊」で笙野頼子「タイムスリップ・コンビナート」をテーマに、JR鶴見線で鶴見駅から海芝浦駅まで散歩するコラムが掲載されています。

日本経済新聞(文学周遊)笙野頼子「タイムスリップ・コンビナート」
横浜市鶴見区 そこは高度経済成長の遺跡なんです

日本経済新聞(写真で見る文学周遊) 笙野頼子「タイムスリップ・コンビナート」鶴見線・海芝浦駅

「マグロともスーパージェッターとも判らんやつ」から謎の電話がかかってくる。 カフカの「変身」を思わせる不条理な事態に巻き込まれた主人公は毒虫に変身こそしないが、JR鶴見線の海芝浦駅まで出掛けることになる。

主人公の足跡をたどり、横浜の鶴見駅に向かった。京浜東北線から鶴見線に乗り換える中間改札を抜けると、空気が一変した。 鶴見線のホームはドームに覆われて薄暗く、昭和感が漂っている。 時間がズルリとスリップし始める。

扇島駅を終点とする本線ではなく、浅野駅から枝分かれする鶴見線海芝浦支線に乗った。3両編成の電車が埋め立て地の果てにある海芝浦駅に到着する。 この先に線路はない。行き止まりの駅だ。ホームの片側は海、正確には「京浜運河」が広がっている。

執筆は編集委員の吉田俊宏さんです。
海芝浦駅の工場と海しかない風景は独特で印象的ですよね。

この付近は高度経済成長を支えた京浜工業地帯の中心で、対岸では今も火力発電所や製鉄所が威容を誇っている。主人公が故郷の四日市コンビナートを思い出したように筆者も製鉄所のガスホルダーの脇に砂山を見つけ、脳内でタイムスリップしてしま った。高度成長期のアニメ「スーパージェッター」に熱狂した少年少女にとって、空き地にあった土管などの建設資材、砂や砂利の山は格好の遊び場だった。懐かしい記憶だ。

チャポッ。運河で魚が跳びはねた。無論、マグロではない。どうやらボラのようだ。 21世紀にはジェッター君の流星号のようにマッハ5で飛べる自家用車を持つ日が来るか と夢想していたが、数十センチのボラのジャンプを見て、人類の飛躍はまだあのくらいかなと独りごちたのだった。

「スーパージェッター」と高度成長期はリンクするものなんだ。見た事がないからそこはわからなかったな。

とりあえず「タイムスリップ・コンビナート」と海芝浦といえばこちらの評価。またリンクしときます。
PDF:島村輝「鶴見線海芝浦駅縁起:笙野頼子「タイムスリップ・コンビナート」と「五五年体制」」

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