『日本のフェミニズム since1886 性の闘い編』に笙野さんのインタビュー
北原みのり編『日本のフェミニズム since1886 性の闘い編』に、笙野頼子さんのインタビューが収録されています。
河出書房新社から12月20日発行。(河出の内容紹介ページ)
表紙と扉の写真は石内都。
本書では、1886年から女性の性平等を求めた運動をまとめています。
第1章で現代までのフェミニズムの流れを三浦まりが解説。
第2章は日本の公娼制度を廃止を求めた廃娼運動を小野沢あかねが解説。
第3章は敗戦直後から売春防止法成立の流れを細金和子がまとめています。
(知らなかったよ、買春者処罰する法案が通らなかったなんて…)
第4章で戦後から現代までのリプロ(性と生殖関連の健康と権利)運動を谷口真由美が解説。
第5章では、レズビアン運動史を70年代若草の会から現代まで沢部ひとみがまとめています。
(全く知らなかったので、勇敢な活動に目から鱗、胸熱)
第6章は性的自己決定権をめぐる80年代の戦いを北原みのり解説、
第7章は「AVの中の性暴力を告発する」は、バクシーシ山下の本の絶版を求める運動からAV出演被害を考える運動PAPSへの発展を宮本節子がまとめています。
売春・ポルノ・出産にしろ、女性のセックスが経済的に搾取、暴力に晒されていることがよくわかる。
コラムでは、「「慰安婦」問題と韓国のフェミニズム」古橋綾、大橋由香子は優生保護法の問題をまとめ、女子中高生をサポートする仁藤夢乃は現代のJKビジネスや児童買春を批判。弁護士の太田啓子は刑法の性犯罪規定改正を解説。
エッセイに柚木麻子と松田青子。ブックガイドや略年譜もついて便利。(敬称略)
笙野頼子さんのインタビュー「「フェミニズム」から遠く離れて」の聞き手は小説ファンでもある北原みのりさん。
本書の内容を聞かれて、
笙野小説ではずっと女主人公への社会的抑圧を批判していますし、だいにっほん三部作+『ひょうすべの国』では火星人遊郭で公娼制度や買春の問題を批判していますから。
松浦理英子さんとの対談は『おカルトお毒味定食 (河出文庫)』に収録されてますね。
それと今、ひょうすべの続きを書かれているのですか。これは楽しみ(河出書房新社さんよろしくお願いします)。
そして、海老名暁子『なぜ男は笙野頼子を畏れるのか』と早稲田文学増刊女性号への批判と続き、
テーマで読み解く日本の文学 現代女性作家の試み (小学館)2004|書誌詳細|国立国会図書館サーチ
だまされて参加されたのですか…。著作権放棄したら印税とか入らないのでは…ひどい。
デットボールの会田誠氏のツイートはこれですね。
https://twitter.com/makotoaida/status/863929477444665344
https://twitter.com/makotoaida/status/864093450911727616
河出書房新社から12月20日発行。(河出の内容紹介ページ)
表紙と扉の写真は石内都。
本書では、1886年から女性の性平等を求めた運動をまとめています。
第1章で現代までのフェミニズムの流れを三浦まりが解説。
第2章は日本の公娼制度を廃止を求めた廃娼運動を小野沢あかねが解説。
第3章は敗戦直後から売春防止法成立の流れを細金和子がまとめています。
(知らなかったよ、買春者処罰する法案が通らなかったなんて…)
第4章で戦後から現代までのリプロ(性と生殖関連の健康と権利)運動を谷口真由美が解説。
第5章では、レズビアン運動史を70年代若草の会から現代まで沢部ひとみがまとめています。
(全く知らなかったので、勇敢な活動に目から鱗、胸熱)
第6章は性的自己決定権をめぐる80年代の戦いを北原みのり解説、
第7章は「AVの中の性暴力を告発する」は、バクシーシ山下の本の絶版を求める運動からAV出演被害を考える運動PAPSへの発展を宮本節子がまとめています。
売春・ポルノ・出産にしろ、女性のセックスが経済的に搾取、暴力に晒されていることがよくわかる。
コラムでは、「「慰安婦」問題と韓国のフェミニズム」古橋綾、大橋由香子は優生保護法の問題をまとめ、女子中高生をサポートする仁藤夢乃は現代のJKビジネスや児童買春を批判。弁護士の太田啓子は刑法の性犯罪規定改正を解説。
エッセイに柚木麻子と松田青子。ブックガイドや略年譜もついて便利。(敬称略)
笙野頼子さんのインタビュー「「フェミニズム」から遠く離れて」の聞き手は小説ファンでもある北原みのりさん。
本書の内容を聞かれて、
ーー性の戦いをしてきた女性運動についての本です。なぜ笙野さんが呼ばれているのか不思議でしたが、納得。
明治以降、例えば、公娼制度に抗い、一夫一婦を理想として戦った女性の運動や、その歴史的な背景を、次世代につなげていきたいというのが出発点です。というのも、廃娼や売春防止法に向けて戦ってきた女性運動に対して、90年代以降のフェミニズムが近代批判をするあまり正当な評価をしてこなかったことや、買春する権利を絶対手放さない日本社会への批判的な言説が弱まってしまっていることに、危機感を持つからです。
笙野小説ではずっと女主人公への社会的抑圧を批判していますし、だいにっほん三部作+『ひょうすべの国』では火星人遊郭で公娼制度や買春の問題を批判していますから。
私はただ、暴力的な言説や「美しい日本語」を批判してきただけ。でもその流れで外側から「性」を見ることになった。論敵のひとりが商売で、写真のチャイルドポルノを作っていたんです。彼はまさに「投資家の意識」をなぞるだけの男でした。その例えとして、女性がアダルトビデオへの出演に契約させる時、周りを男性に取り囲んで判子を押させる話が出てきます。
そこから言葉の問題は常に暴力や経済とセットなのだと……。
そもそもいったいそれは誰の自由なのか。女をいつも主流派男の御都合と結びつけて、男の性の自由を確保するために「性の自由」や「フェミニズム」を謳っているだけなのでは。でもだったら「フェミ」って何?そういう経緯があったのですか。私は2006年からの読者なので知らなかったです。
中でも、上野千鶴子に代表されるフェミニズムなんてマーケティング兼少女消費じゃないのと。結局前世紀からやむなく上野を批判してきました。その他に、少し時代を遡りますが、92年ごろから私は『レストレス・ドリーム』(1994年刊)という作品で、70年代の「革命勢力」が女にセックスばかりさせようとしていた一面を、アニマという女性を通じて描きました。この作品の中では、女がセックスをする/しない、知的であるかどうか、という権利を全部マスコミ的な「王子」という男が決めて、女を侮辱するんです。
『レストレス・ドリーム』を書いていたのは、フェミニズムという言葉が一般的に出回り始めた頃です。私は、それ以前のウーマン・リブには期待したけど、フェミニズムという言い換えに共感できないと、松浦理英子さんとの対談で話したんですね。そもそも上野という人にも何も感じなかったし、私のこの『レストレス・ドリーム』を清水良典氏がフェミニズムを超えたと絶賛したのに苛立ち、自信はおありのよう、と煽ってきた。そのくせ読めず、松浦理英子さんとまとめて「娘のフェミニズム」と呼んだ。さて、それからというもの、このフェミの権威にさからった笙野頼子は、上野シンパからアンチ・フェミニストでセックス差別をするミソジニストだと、実生活まで中傷される半生になりました。
松浦理英子さんとの対談は『おカルトお毒味定食 (河出文庫)』に収録されてますね。
私が共感できなかったのは、「アカフェミ」だけではなくマスコミ・フェミにもなんです。マーケティング用フェミ、女性差別広告、性暴力ビデオ、少女消費、上野千鶴子なんてまさにこの全部の味方ですよ。ならばフェミニズムは、単なる研究分野のひとつとしてすでに捕獲されてしまっているんじゃないかと。大学で彼女たちに捕獲されずに生き残っている人たちはすごいと思いますが。この「捕獲」は『千のプラトー 合本版 資本主義と分裂症』の(権力による)捕獲装置という概念からきています。インタビューの註(p113)にも解説されてあり読み応えがあります。
そもそもフェミニズムとか言う以前に、そんな言葉の前に、もっと大切で大きい女個人の心身や欲望があるじゃないですか。まず食欲。性欲じゃないでしょう。まず例えば目の前にお肉があったら、それを夫の皿に半分に移したりせずに、一人前ちゃんと食べたい。わかります。こういう当たり前のことを女性がやるとなぜか「太るぞ」と冷笑されたり「はしたない」とか「女らしくない」と制限される。
ーーそれがフェミニズムの一歩ですよね。
あとは普通に選挙に行きたい、運転したい、銀行でローンを組みたい、役所でいじわるされたくない、タクシーで説教されたら怒鳴りたい、好みや主観を述べたい。
本書の企画書が送られてきたときも、まさにそうですよ。ここに書いてある結婚や妊娠、中絶とは、女性が巻き込まれてひどい目にあうだけ。巻き込まれる以前の単品の自由な女性、普通の本当の私はどこにいる。つまり、やればやるほど責任をとらされて、監視される。あるいは成人なのに少女とか言われて半人前とされ消費される。「黙って見ている罪」って、保護責任者遺棄罪とかを発展させれば、できそうな気がしますね。少なくとも鉄道利用の規約でルールを作り啓蒙すれば変わる気がします。
日本人の国民性を変えようと思ったら、ウラミズモで、男女平等なら殴らせろというような男を男性保護牧場に入れて、強制肉体平等にするしかないんだろうと思うことがある。それから痴漢を黙って見ている人も、「黙って見ている罪」とか作って全部罪に陥れる。
ーー黙って見ている罪!ほぼ全員有罪ですよね。
むろん助けてくれた人には良いことをしてあげればよい。でも私だって、というのも変だけど、笙野頼子でも痴漢に遭っていた。そんな危ない目には遭ってないと忘れて生きてきたけど。ひょうすべの続きを書くために思い出したら、すごすぎる。暴力で性を捕獲する感覚って、「性」ということよりも「奴隷」にして汚染するって感覚なんだと思う。
従属させてすべてを自分たちが見張り、判断したいという願望がセックスをも覆っている。「性」を捕獲してくるものは多すぎる。フェミも、ていうか性について語らせたり、性だけ分けたり、文学者をフェミだから、フェミでないからというのも全部「性」強要ですよ。マスコミが女にしてくることはひどいし汚いよ。今の時代、いちいち強要してくる性を容認することはリベラルなんじゃなくて、暴力を容認することなんですよ。肉を一人前食べられないことを容認することなんです。そもそも泣いている被害女性を黙らせるために「フェミニズム少数派」の上野千鶴子がいる。それこそ私が長年小説でも論争でも批判してきた、ロリフェミ、イカフェミ、ヤリフェミなんですよ。p110
それと今、ひょうすべの続きを書かれているのですか。これは楽しみ(河出書房新社さんよろしくお願いします)。
私、『ひょうすべの国』を読んで、イカフェミアーティストが暴力とロリに捕獲されて自作自演で事件を起こす下りを読んで、鳥肌立ちました。フェミニストすらなかなか理解できなかったあの事件を、こんなに正確に書く文学って何!?と、頬を叩かれたような気持ちになりました。これは北原さんの発言で、アーティストとは『ひょうすべの国』p127の伊加笛美のトイレ盗撮ドキュメンタリーアートの事でしょうか。勉強不足で「あの事件」の元ネタが何かわかりませんでした。
そして、海老名暁子『なぜ男は笙野頼子を畏れるのか』と早稲田文学増刊女性号への批判と続き、
ついでに言うと昔、「女性が読み解く古典シリーズ」と言うのにだまされて参加させられた時、最後に男の編集者が掲載全女性のエッセイ著作権を判子で放棄しろとか威張って言ってきた。関連機関に言いつけて被害の修復させたの私だけでしたが。それでまた「怖い」ってなっちゃってね。しかし、……アートってなんなのか、昔から批判してますけど。今「才能ある女性表現者の一例」でツイッター検索すると、会田誠氏が私の顔写真を引用して「アート」してるんで、笙野はブスという文脈でね。「女性が読み解く古典シリーズ」とは『テーマで読み解く日本の文学 現代女性作家の試み』上下巻ではないでしょうか。
だけどそんな私の顔依存の人なんかが「反権力」やって見たって主体も何もない、ただの投資家の意識に寄り添うだけではないの?
テーマで読み解く日本の文学 現代女性作家の試み (小学館)2004|書誌詳細|国立国会図書館サーチ
だまされて参加されたのですか…。著作権放棄したら印税とか入らないのでは…ひどい。
デットボールの会田誠氏のツイートはこれですね。
https://twitter.com/makotoaida/status/863929477444665344
https://twitter.com/makotoaida/status/864093450911727616
まあ文学は翻訳も含め人間の役に立つけれど、権力補完芸術にはなりたくない。また今はそれすら捕獲装置としての戦争協力的なマス文学者によって占領されているのかもしれないけど。でも植民地みたいなこの戦争内閣の中でも、少数の文学者はがんばるんですね。フェミニズムって言葉もまず、それがどう言う意図で言い換えられたのか無効化されたのか、そこから文学は考えたいと。なるほど。小説を読む上で参考になる対談でした。