群像9月号に木村紅美の『猫キッチン荒神』書評

群像2017年9月号に木村紅美さんの『さあ、文学で戦争を止めよう 猫キッチン荒神』書評が掲載されています。
しかも群像公式サイトに全文公開されているのです。これは読むしかない。
他者への想像力の大事さ(『さあ、文学で戦争を止めよう 猫キッチン荒神』笙野頼子)木村紅美
 昨年の七月、住民百五十人ほどの高江には、全国から動員された五百人もの機動隊が押し寄せ、座り込みテントは強制撤去、負傷者も出た。高江の人はよく「高江で起きることは、いずれ東京や全国でも起きる」と言う。本書では、人喰いはまず沖縄から丸飲みにする、と繰り返し書かれる。この国の舞台裏に巧妙に隠されてきた恐ろしいことは、今やじわりと、見えやすい場所に広がりだしている。
 今の時代を小説にする難しさ、ほんの一部に集中する大きなお金のために人間が踏みにじられてゆくことへの怒り、持病である膠原病の苦しみを書きつつ、作者は、日々の生活に楽しみを見出す。ドゥルーズの相棒ガタリの概念から、リトルネロ、と名づけた冷凍庫に蓄える、好きなおかずを作る喜び、自分のリズムで居場所を確保し不安をなだめるようすには勇気づけられる。みっともなく激変する日本の現実を「スルーなしの設定で」作品に取り込もうと、初めて参加した国会前デモ、ヘイトスピーチへの抗議行動。報道されないディテールに驚き、書きたいことが次々見つかる。亡き猫のドーラが女王口調で労わってくれる空想を交え、筆は自在に飛び回る。
 萌エロキャラと戦争の問題もつながる。高学歴も継ぐべき財産も全て捨てて嫁入りした「母」が、作者の子供時代、大変な手間をかけ作るご馳走の数々、それらのならぶ食卓を台無しにする父の横暴さ。その寒々しい光景の裏側には、まえの戦争の傷痕と、いまに至る日本の風潮がどろりと引きずられている。
これまで作者が思考してきたさまざまな要素がぶち込まれ、響きあう本書は、憤りの渦巻くカオスのようでありながら、この文学の基本であろう他者への想像力の大事さに貫かれ、誇り高く光り輝いている。
まさに、政治・経済・過去・現在・未来の予想(と主人公の過去と現在)など様々な要素を盛り込みながらも、過去作よりさらにパワフル、さらに読みやすくなっていますよね。

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