猫ダンジョン荒神(後篇)の感想リンク
遅ればせながら、猫ダンジョン荒神(後篇)の感想を紹介したいと思います。
馬場秀和ブログ
http://babahide.blog.so-net.ne.jp/2010-09-06
いつも上手に粗筋をまとめる馬場さんが「うまく感想もまとまらず、どうにもすいません。」と混乱されてる。
めずらしい。でも十分解説されてます。
Close To The Wall
http://d.hatena.ne.jp/CloseToTheWall/20100916/p1
死や殺意、あるいは笙野自身の老化、そして猫の迫りつつある最後というのがここ最近の作品につねに忍び寄っていて同時に、だからこそ大切にしたい「幸福」が非常に印象的に描かれる。それがすごくいい。
まったく同感です。特にドラとの幸福シーンはぐっときます。
老猫養老日記
http://blog.livedoor.jp/fountain801/archives/51708763.html
「あったらしくおめでとう。」に触れてるのはココだけかも。謎のオチですよね(私にとっては)。
AT13DKさんの感想ツイート
すばる10月号の笙野頼子『猫ダンジョン荒神』後編。家族の生死の境界線上、自己認識の変化の線上、または世界の「段差」、のストレスを読んでいる間ずっと感じた。そういう感じは私も親族が亡くなった時に味わったことがあって、その記憶が甦って悪夢を見たりした。
『窯変小説集・時ノアゲアシ取リ』の時の「段差」のテーマを深めた感じ。『時ノ…』は本当にすごい文章があって素晴らしい短編集なのだけれど、物凄く悲しい世界でもある。線上の神から託宣が出るというのはなんとなくわかる気がした。運命の境界線、なんていうと俗だけど線上はすごいストレスの源だ。
私とあたし問題。ヨリマシ、ヨリ、神女(より)、というのが印象深く出てきて、ああ頼子のヨリは憑巫にも通じるのか、となんだか深く納得した。頼子の名の由来の横断歩道は頼子とヨリコの間にかかっているのかも。頼子が「私」でヨリコが「あたし」、とか。まとめすぎか。(『猫ダンジョン荒神』)
荒神は境界線上の神とのことなので「境界線」は重要なキーワード。
肉体と魂の境界線というのがよく分からなかったんだけれど、
地下猫さんのツイートで想像しやすくなった。
バイストンウェルは海と陸の狭間にあった。神のいるところは、現実と非現実の狭間じゃねえのかな?現実と非現実の狭間にあって、現実と非現実を統べる存在というのが僕のイメージする神。真理とか法則という名でもよいけれど。これが「僕の考えた"God of the gaps"論法(笑)」だッ!
このツイートは一連の議論からのもので、流れは下記で纏められている。
togetter 存在を巡る地下猫氏とMochimasa氏の対話 http://togetter.com/li/67772