『ドゥルーズ 没後20年 新たなる転回』に笙野頼子エッセイ

10月24日発売の河出書房新社編『ドゥルーズ 没後20年 新たなる転回』が届きました。ありがとうございます!
没後20年を記念したドゥルーズ本になんと、笙野頼子さんと萩世いをらさんのエッセイが収録されています。
笙野頼子「すべての隙間にあり、隙間そのものであり、境界をも晦ます、千の内在」
萩世いをら「参照点のない読書」
タイトルは上の2作。本の発売は公式サイトで存じてましたが、この事は全く知らず。くやしい。ということで目次を掲載。



河出書房新社編集部『ドゥルーズ 没後20年 新たなる転回』もくじ
対談
小泉義之×千葉雅也
「ドゥルーズを忘れることは可能かーー二○年目の問い」
宇野邦一×鵜飼哲
「概念の力と「地理哲学」ーードゥルーズを読みなおすために」
江川隆男×堀千昌
「絶対的脱領土化の思考」

文学者が読むドゥルーズ
笙野頼子「すべての隙間にあり、隙間そのものであり、境界をも晦ます、千の内在」
萩世いをら「参照点のない読書」

展望
檜垣立哉「ドゥルーズ歿後二○年の〈世界的現在〉」
近藤和敬「ドゥルーズに影響をあたえた哲学者たちーー「プラトニズムの転倒」をめぐる」

生成
アンヌ・ソヴァニャルグ「リゾームと線」 訳=小倉拓也+福尾匠
フランソワ・ズーラビシヴィリ「カントとマゾッホ」 訳=小谷弥生
ジャン=クリストフ・ゴダール「1960年という瞬時におけるドゥルーズーー思考の新たなイマージュ?」 訳=小林卓也

内在
ペテル=パル・ペルバルト「主体化、非主体化」 訳=五井健太郎
ローラ=U・マークス「ドゥルーズ哲学へのモッラー・サドラーの潜在的な貢献」 訳=森元斎

動物
ブライアン・マッスミ「非人間的回転」 訳=黒木秀房
パトリック・ロレッド「動物は人間のように愚かであることができるかーーデリダとドゥルーズをめぐる「超越論的愚かさ」について」 訳=西山雄二+小川歩人

闘争
李珍景「ドゥルーズの唯物論、あるいは「外部による思惟」」 訳=影本剛
廣瀬純「悲劇的なこの世界では哲学が直ちに政治になる。ーー一九六九年、スピノザからストア派へ」

主要著作ガイド
『哲学の教科書』『経験論と主体性』山下雄大
『ニーチェと哲学』黒木秀房
『カントの批判哲学』小林卓也
『プルーストとシーニュ』黒木秀房
『ベルクソンの哲学』岡嶋隆佑
『ザッヒェル=マゾッホ紹介』小谷弥生
『差異と反復』朝倉友海
『スピノザと表現の問題』『スピノザ』井上一紀
『意味の論理学』朝倉友海
『アンチ・オイディプス』村澤真保呂
『カフカ』『ディアローグ』山森裕毅
『重合』松本潤一郎
『千のプラトー』村澤真保呂
『フランシス・ベーコン』小倉拓也
『シネマ1 運動イメージ』『シネマ2 時間イメージ』築地正明
『フーコー』箱田徹
『襞』大山載吉
『ベリクレスとヴェルディ』松本潤一郎
『記号と事件』築地正明
『哲学とは何か』小倉拓也
『消尽したもの』松本潤一郎
『批評と臨床』大山載吉
『無人島とその他のテクスト』『狂人の二つの体制』小林卓也

ガタリの著作を読む 村澤真保呂
文献案内 堀千昌
著作一覧
対談から論考から著作ガイドに文献案内まで。いたれりつくせりですな。
馬場秀和ブログにも笙野頼子さんエッセイの感想がアップされています。

ドゥルーズ本になぜ笙野さんが寄稿されているかといえば、『千のプラトー』を使って小説を書かれているからです。
2009年の『海底八幡宮』以降『人の道御三神といろはにブロガーズ』、新シリーズ「猫ダンジョン荒神」「猫トイレット荒神」「猫キャンパス荒神」と今も続いています。
新シリーズに至っては、「小説神変理層夢経」すなわちリゾーム経シリーズと銘打たれているくらいなのです。
本エッセイでは『記号と事件』でガタリのインタビューも参照されている事もカムアウトされていたり。
エッセイ中の段落にタイトルも付いていたり(12ページと長めだからでしょうか)。
0 「外」にして「内在平面」
1 プラトー
2 国家は音楽である
3 リゾーム
4 機械、マイナス一、言表の集団的アレンジメント、ニュートン批判
5 捕獲装置
なんと単行本発売前のゲラから『千のプラトー』を読まれていたそうで、千プラに纏わる過去話、そして碧志摩メグ問題も語っています。(「碧志摩メグ」志摩市公認撤回署名活動に賛同コメント参照)
「5 捕獲装置」のラストでは、
捕獲はリセットや本質を欠いた模倣により行われる。多くは無垢な人間や土地の陵辱をともなう。そして「おんたこ」は贋の大義により「小さいもの」を殲滅するのだが、実はこの小さいものがあると連中は不安で夜も眠れない。被害と加害を逆転させてまで嫌がらせをし、攻撃して来る。実際、世界はまるでそれだけで出来ているようだ。ニセ芸術であれ悪魔の産業であれ、この穢しがなぜか大金と愚民の支持を産む。それを私が解明できるかって? だからそこは、ミクロ政治学で行くよ。私小説とか、小さい本質をテーマにしたものだよね。
碧志摩問題で、ネットをまた見るようになって、そうしたらこっちの目から見てもう、イカフェミとしか言いようのないものがいちいち目に付いた。「だいにっほん」シリーズの番外編『だいにっほん、いかふぇみうんざり考』をもし刊行出来るのなら、おまけというか後書きで「捕獲装置論」を書こうかと思ってて……
( p105)
「だいにっほん」三部作の番外編がさらに増補される予定だとか。読みたいなー、ぜひとも発表して欲しいですね。
新シリーズ新作は「ミクロ政治学」(『千のプラトー』文庫版中編9番)あたりですか。これは今から復習しておかないとですね。

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