「オニババ化する女たち」をよむ

痴漢や強姦の被害者をなんで責めるんだろう?
ずっともやもやしていたが、北原みのりさんのコラムを読んで解けた。
京都教育大学の集団強姦事件

セックスが好きで、コンパで会った男の子とセックスしてもいいな、むしろそうなりたいな、という思いでコンパに行く女の子の気持ちそのものが罰せられることなんて、どういう思想だと思う。早稲田の男の子と知り合いたいな、恋愛できたらきっと楽しいだろうな、そういう思いでコンパに行く女の子を責めるって、どういう正義だと不思議に思う。

19歳の女性がセックスしたいと思うことが責められてたんだ。
女が性欲をもつことを制限されているんだ。
「キャミソールを着るから痴漢にあう」とか言う人がいるのは、そういう理屈か。

三砂ちずる『オニババ化する女たち 女性の身体性を取り戻す』を読んだ。
これも割り切れない気持ちが残った。
独身の更年期女性がオニババ化すると言う話はナマハゲ的子供だましで笑えるし、
仕事ばっかりせず体を大切にしていこうとか、月経はトイレで流すとか(やってみたい)、
出産は痛く苦しいものではなく気持ちよいもので体と向き合える貴重な体験だとか、
なかなか面白いのだが、なにかもやもやする。

生殖を中心に人生を考えるp197

 女は子どもを産む道具か、などと言われていましたが、もちろん女は子どもを産むための道具ではありません。女は子どもを産むための、人間です。だから人間として子供を産むと言うことをもっと大切にし、そんな大切なことを産業社会の養成で、反故にさせないことが大切だと思います。p198

道具を人間と言い換えても、意味が変わっていない。
子どもを産むために女はあると言っているのだ。
子宮があるから産むべき、といわれると心を無視された気がする。
一人一人の内面がないみたいに扱われた気分。
セックスするか生殖するか、そこから自分で選びたい。



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