母が重くてたまらない 墓守娘の嘆き

今日も暑いね。こんな時は涼しくなる本がいい。
母が重くてたまらない―墓守娘の嘆き
ドメスティックバイオレンスや家庭内暴力の著書が多い、カウンセラー信田さよ子の最新刊。
墓守娘とは「もう結婚はあきらめたから、私が死んだら墓守は頼んだよ」という母親の言葉からきている。

団塊の世代は一人っ子や二人っ子が多い。
そうなると娘だけの家庭がふえ、マザコン息子ならぬマザコン娘が増えることになる。
そのマザコン娘を支配する母親像が紹介されている。
強烈な母親たちに血の気が引くこと間違いなし。
��どんな母親がいるかは目次を参照。ブログ主の話もすごい。泣けてきます。)

この本の悪母たちは娘が従順なのをいいことに要求しほうだい。
「いい学校に行け、いい会社にいけ、結婚して家を出ろ、子どもを生め、二世帯住宅たてたら同居しろ、介護しろ…。
毎週買い物につきあえ、食費を三万円から五万円に増やせ(!)、「ただいま」といえ、部屋をきれいにしろ、早く会社から帰ってこい…。」
とすごいのだ。
さらには娘の結婚相手を脅して泣かせる、結婚に反対して娘を監禁する話まで出てくると
逆に痛快になってきて「もう好きなだけ暴れてしまえ!」と思えてくる。



悪母たちに共通しているのは大量の要求をささやかな望みと美化していることだ。
本書に転載された「いま望むこと」という文によく表れている。

 還暦を来年に迎えた私のささやかな希望は、能力と感性に溢れた美しい二人の娘たちが、いつまでも母である私と肩を並べて、軽やかに暮らしていってくれることだ。p70
��略)
やりたい仕事をして、時には私といっしょに旅行に出かける。週末は音楽会や演劇を楽しみ、そのあとでいつものイタリアンレストランで、感想を語りながらおいしいディナーを味わう。そんな生活を送っていくことの、どこが問題なのだろう。これが、老後に向けて私の望むことである。p71

団塊の世代で60代の私の「ささやかな希望」は、週末に演劇とディナー+時々旅行。
これあたりまえ。死ぬまで「いつまでも」よろしくね。
これのどこがささやかやねん。
どこが「いつまでも」「肩を並べて」「軽やかに暮ら」す生活やねん。

私は年に一度の親つれ旅行だけでどっと疲れるのに、
音楽会やら演劇やらに連れいかなあかんなんて考えただけでめんどくさすぎる。
それを「どこが問題なのだろう」って。
娘の負担をまるで考えていないところは、セクハラ男なみの鈍感さとそっくり。
支配者とはこれほど鈍感になれるものか。

さらに本書には、悪母の夫・悪父も登場する。

そのひとは同じ空気を吸いながらも息をひそめているようであり、同じ地平に立ちながらももどこか中空から見下ろしているようでもある。居ながらにして不在であるひと(=父)こそ、母と娘をめぐる問題の中心にいたのではなかっただろうか。p148
多くの父親の態度に共通する特徴は「妻の態度の評論家」であることだ。p152

客観的に中立の立場にたち責任を母親に押しつけ、普段は何が起きても他人事。それを攻めると怒るらしい。
「過剰に暴力的な負の存在か、それても無自覚なままの不在か。両極端でしか存在しえない父親たち。」

育児をともにするどころか助けもしない、逆に批判してくる。
そんな父親に失望し孤立した母親が娘に依存する-それが著者の分析だ。

うーん、なんと悪母の夫はおんたこ風味だったよ。


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