『現代小説クロニクル 1990~1994』の感想

kingさんが講談社文芸文庫『現代小説クロニクル 1990~1994』の感想を書かれていますよ。
日本文藝家協会編 - 現代小説クロニクル 1990-1994 後藤明生再読「十七枚の写真」笙野頼子再読「タイムスリップ・コンビナート」 - Close to the Wall
そういえば、鷺沢萌さんの収録短編よんで、90年代トレンディドラマとか学園マンガも当時そんな風だったなと懐かしく思い出しましたよ。
そして後藤明生再読「十七枚の写真」と笙野頼子再読「タイムスリップ・コンビナート」。
今読んでもとても不思議な作品で、誰とも「マグロともスーパージェッターとも分らない」存在から、海芝浦駅へ行け、といわれて、「イラッシャイヨ……」とマグロの声が聞こえて行くことにする、という無茶な展開のままに電車を乗り継いで海と東芝に挾まれた駅まで行ってしまう。もう、マグロからの声を聞いたから行かなければならないわけだ。

つまり、恋はただ「そこにあるだけの」、恋だったから。204P

そうだとすればものすごい変則的な恋愛小説だとはいえて、不可能な恋愛を描いたものでもあるということなら、『硝子生命論』『水晶内制度』の系列の作品の一つ、ということなんだろうか。マグロの目玉、海、というキーイメージは、確かに、そうかも知れない。
なるほど。私は新シリーズ小説神変理層夢経の荒神っぽいかなーと思いました。
なぜかというと、この本の「タイムスリップ・コンビナート」の底本は河出文庫『笙野頼子三冠小説集』(2007年)なのですが、著者あとがきp250にこうありまして。
例えば、「タイムスリップ・コンビナート」に出てくるマグロ、当時はわけの判らない恋愛めいた感じ、という意識だったのだが、今はこれを近代が覆い隠してしまった宗教的感情のあらわれと考えている。マグロは神仏なのだと。当時の私はマグロと主人公の恋について、「源氏物語の姫君が景色に恋をしているような恋愛をする」と捉えていた。しかし今となっては解釈が違う。「宗教的感情を伴う自我が、自らの感情を対象化し、神をつくりだす、姫君はそのような経済的、宗教的背景の元で景色に恋をしたのだ」という事になる。要するに源氏物語の作者は唯物史観など知らなくても使わなくても、心と言葉を使って、それも仏教的無常観を以ってマルクス主義が感知できぬ部分を書いていたと思うのである。飛躍の面白さ、感情の流れを損なう事になっても、今世に言う「萌え」というものとは一線を引くしかないと判った上で徹底手入れをした。持ってる人が読み比べてくれればそれが判ると思う。
マグロ=神を捉えてみるとあらすじは、神との対話+日常の話+過去振り返り・書き換えという形になってるし、金比羅三部作、荒神シリーズの系譜かなーと。『金比羅』と『海底八幡宮』のキーイメージも海ですしね。

余談ですが、河出文庫『笙野頼子三冠小説集』の電子書籍版は書き下ろしの後書き「さらなまら、これならば、百年残ります?」が収録されていて、河出書房新社の電子書籍『硝子生命論』、『レストレス・ドリーム』、『母の発達』、説教師カニバット、説教師タコグルメ、『片付けない作家と西の天狗』、『愛別外猫雑記』、『海底八幡宮』、人の道御三神の解説と新人賞三冠王の近況が書かれています。
『絶叫師タコグルメと百人の「普通」の男』の訂正も。

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